2005~2018年という、長い期間ファンを離れていた私が常々思っていたのは、
この時期を、山根さんがどういう活動をされていたのかな?
ということでした。
ラジオ番組から聞こえる、活動の節々のエッセンスストーリーは
私の興味を刺激するものでした。
私が知っていたのは
2005年までの、20代、30代の「お兄さん」の頃の山根さんです。
手元にある写真たちも、総じて「カッコいいお兄さん」です。
40代のオジサマになられた山根さんを一切存じ上げません。
なので、
YOUTUBEに上がっている
「愛しのマリア」
「林檎の木」
「CLOUD 9」
などを見るたびに
「40代も素敵な曲を書かれていたんだな…(,,• × •,,)」
とホワホワして見るようになりました。
ファンを離れていた頃のCDを購入し
どんな思いでこの曲を書かれたのかな…と
思いを馳せていました。
歴代のお姿は…
やっぱり20代のお若い頃のお姿は神がかってカッコいい。
思わずまじまじと二度見するほどのハンサムガイです(о゚д゚о)♡
13歳の頃に異性の好みが形成されたのか、
私がその後好きになった男性陣は皆、
細身の陸上部出身のすっきりした顔立ちでした。
…どれにしようかな
個人的に今回のサイズはちょうどいい感じ。
私は自分の部屋が無いので。
本棚にスッと入る大きさが嬉しいですね。
お若い頃はカッコいいけど、
オジサマになられたお姿にしようかな
迷うなぁ…
OneMomentの頃のちょっと長い髪型のがあったら
秒で即決だったんですが…
ないんですね…
多くのファンから評判悪かったと聞いています…
私は大好きだったので、
短くなった写真を見て「がーん…切ってしまった…」とつぶやいていました。
OneMomentの頃の山根さんは
男の魅力が大爆発しており
(↑このキャッチコピー誰が作ったん?)
高校生の私にはその美しく麗しいお姿はカッコよすぎてかなりの刺激物でした。
駿台模試の数日前にリリースされたアルバムOneMoment。
「PRECIOUS>100」を聴いて一人「はぁ…(pq´д`*)…」と悶えていました。
(そして志望大C判定)
長らく離れていたけれど
今、どんな曲を書いてはるんだろう…と
「CLOUD 9」のPVを初めて見たときは、
「…山根さん、もともと細かったけど……」
という想いでした。
ファンを離れていた約13年を追ってみると
髪型が変わるのは当たり前ですが
この曲のリリース時期、随分と痩せていらしたんだな、と感じました。
多くの男性はこのくらいの歳になると
お腹が出てくると思うのですが…
ペッタンコのお腹で頬がこけてる…
規模が小さい会社は
物理的マンパワーが少ないため
大きな会社では可能な「分業」ができず
ひとりひとりがパフォーマンスを上げて業務をこなしていかなければならないと実感しています。
私自身は
会社を辞め、独立したときに
自分でやらなければならないことの多さに最初はとまどいました。
再びファンになってから聴き出したラジオ番組からは
随分と睡眠不足である感が聴いてとれました。
恐らく、アーティスト業以外にも多大な仕事に忙殺されていらっしゃるんだろう…。
もっと休息をとってほしいな…。
そう思っていた矢先
世の中はパンデミックになり
MOTHERから2部制ライブのお知らせが届きました。
初めてそれを見たとき、何とも言えない気持ちになりました。
自民党大会では密になり大声で叫んでいます。
選挙では密になりノーマスクで万歳三唱しています。
なのに、
一般市民は感染対策という名の「政策」を強要されています。
幼児であってもマスクの着用を強要され、
卒業式は陰性証明がないと出席できない、
学校行事や修学旅行は中止、
楽器は吹いてはいけない、
給食は14分59秒以内で黙食、
同じ友達との会話は5分以内
コロナの実態と裏側を知る政治家が示す対策と
彼ら自身の行動との間には数々の矛盾が生じています。
東京マラソンは密になって開催してもいいのに
いつまで演者側は2部制のライブをしなければならないのか。
いつまで音楽業界は「政策」による多くの負担を負わなければならないのか。
昨年9月に体調を崩し、
ベッドの上で色々と考え、
政策に左右される国民の将来を憂いて泣いていました。
幸いにも体調は回復しました。
パンデミック下、
たくさんの人が大きな声で他者を批判しがちのように感じます。
国民には心の分断が起こりました。
陰謀、陰謀と叫ぶ方々はおそらく海外の動向を追っていないのでしょう。
報酬を受け取っていない海外インテリジェンスたちの発信を読むなり、株をするなりしてみたら、大きな存在に気づくはず。
世の中は明らかに世界の数%の支配層によって動かされています。
それゆえ、いくら多数の国民が歯向かったとしても
世の中は変わりません。
人の健康や命が羽毛のごとく軽く扱われています。
事故で骨折し血まみれの夫でも
あの時あと少し体温が高ければ、治療を受けることはできなかったでしょう。
悔しいですが、
義憤を抱えながらも
行く末を見守りながら、
大切な人たちのこれからを神様に祈ることしかできません。