2023年12月6日発売
山根康広さんの11枚目のオリジナル・アルバムです。
パッと見て、
「カッコいい…」(*//艸//)
このお写真、
撮影されたのは、少し前の2019年頃だと思います。
たぶんGUARDIANの裏面に使っている写真と
同じタイミングで撮ったものだよね。
そうですね、今はもう少し年齢を重ねられ
アラ還の感じでいらっしゃいますね。
現在より少し前の、アラフィフの頃のお写真。
やっぱりY2、
元がものすごいハンサムでいらしたので
50代になられても、とっても素敵ですよね😊
背面はアイボリーホワイト。
ほんのり優しい色味のバックグラウンドに、
黒いジャケットとシャツをお召しになられたY2。
シックさが増長され、
スマートさと、気品・落ち着きを醸し出します。
そこにシンプルに入ったタイトルとお名前。
本当に素敵です。
Y2のファンになって「得したな」と思ったのは…
曲も素敵ですが、
お若い頃の端正なお顔立ちが
随分と目の保養になったことです。
あの頃は相当にハンサムで…
1枚、究極に「ゴフッ!!・:∴_(꒪ཀ꒪」∠)_」と吐血したのは
沖縄での写真だったかな(←変態すみません。私も若かったです。)
爽やかイケメンから
渋いイケオジへ
年齢を重ねられても
この人カッコいいなぁ…と思えるのって、
素敵だし、すごいことですよね🥰
梅田のタワレコでは
もう予約は受け付けていない😱と言われてしまったので
「またサインしてもらえる機会ができたらいいな、
気長に待とう😭」
と思って、私はAmazonで購入しました。
現在は入荷してると思います。
Amazonのはメガジャケ付きです🥰
ほんまイケメン…(✱°⌂°✱)
オリジナルアルバムは、なんと10年ぶりだそうです。
サブスクという概念が浸透し、
ミュージシャン全体の音楽活動が
「ライブ中心」になった昨今。
月に数件もライブ(しかもパンデミック以降2部制😢)
があるうえに
毎週のラジオ番組の構成も考えながら…
いつの間にレコーディングしてたんだろう?
寝れてたのかな😱
と思えるくらいに忙しい毎日を過ごされていたと思います。
初めて知ったのは中日スポーツさんの記事でした。
この記事が出た1週間後(9/30)にライブ「NAKID JAM」大阪公演に参加しました。
その時にサトシさんとのMCで言われてたのは
Y2「いやー、(記事)出てもうたね」
えっ!
もうしばらく内緒にしておきたかったのかな😅
しかし大きな紙面が嬉しい😄
新聞はオンラインで購入できるということだったので、
早速注文😀 3日後に届きました。
ふと思い出して…昔の新聞記事を出してみました。
デビュー10年目のインタビュー記事でした。
なんとこちらも東京中日スポーツさん。
↓重ねてみる…
「ファンの人たちの声援は力になった。この曲(I’m Not Alone)で感謝を伝えたい」
こちらこそ、いつも我々を励ましてくれるY2に感謝です😊
今回のオリジナルアルバム。
未公開の新曲が3曲ありますが
12月6日のリリース前に、ラジオ番組で流してくれたんですよね。
3曲とも、すごく素敵!😆
さすがY2、期待を裏切りません。
1曲1曲、Y2の想いを感じながら
改めて大事に聴いていこうと思います。
01. VELVET MOON RIDER(2015)
多くの人が驚いた、
今夏のY2ベストSONGランキングの7位になった曲です。
えっ! という感じでした。
ラジオでランキングが発表される前に
SNSの方で「7位の曲を当ててみましょう」
のお遊びがトシさんからあり、
たくさん参加されていましたが
当てられた方が皆無という…。
それくらい、「おぉぉ!」という
存在感を見せつけてくれたのがこの曲です。
ムーディーなこの曲。
velvetはビロードとも言いますよね。
フランス語では「ベロア(velour)」と言うそうです。
ベルベット特有の手触りって、なめらか…というか
落ち着いた光沢感があって上品。
娘の冠婚葬祭用ドレスのリボンがそうですが
華やかでゴージャスです。
そんな「艶やかな月への旅」が感じられる、
ムード溢れるこの曲は
今夏のFIRE BALL 2023でも
クリスマスのWHITE BALLADE 2023でもパフォームされ
50代になられたY2の、
ミドルエイジの男性の魅力を改めて感じさせてくれました。
サトシさんのギターも、この曲の色っぽさを盛り上げますね。
「あなたを連れて行きたい」
「あなたの胸へ Every Night Runaway」
パートナーのことを
「あなた」と
渋い声で呼ぶ。
情緒的な雰囲気が漂う、大人の質感があるこの曲。
ミドルエイジ世代に、とてもおすすめです。
02. 夕立(新曲)
はじめて聴いたときに、なんというか…
Y2の優しさが本当に表れているなぁ…と感じました。
ゆったりとしたイントロ。
穏やかなサウンドに乗って、柔らかなY2の声が語りかけてくるようです。
ポロロン…というサトシさんのギターも優しい😊
包容力が満載の「SINCERELY」とセグメント的には一緒のような感じもしますが
とにかくロマンティックなSINCERELYと比べて
この曲は「言葉も必要ない、ただ二人で夢を見よう、叶えよう」という
穏やかな大人の愛を感じさせます。
たわやかなメロディ。
50代になられても、素敵なラブソングを書かれますね。
そしてこの曲、サビを超えてから
これから僕が君のすべて
抱きしめてゆくから
と、もうひと盛り上がりします。
この1節は
間奏のあとにもリピートで入っていますが
ストレートでパワフルなY2の声は
さらに力強くなっていて
「男性の力強さ」を頼もしく感じますね。
そしてこの曲、
季節の移り変わりの表現も、とても美しくて聴きどころです。
「夕立」って、季語は夏ですよね。
夏の午後に降る雨。
君を抱きしめた夏の夕立
そして
秋の風を追い越していく始発電車
感じるのは、冬の匂い
彼女と共に過ごす時間の経過が
奥ゆかしく叙述されていて
ラブソングの歌詞に繊細さがあるY2が
この曲に込めようとした「場景」が思い浮かびます。
そして何よりキュンと来るのは
空に書いた君の名前は 未来のフルネーム
プロポーズされたらゼクシィ!💍
と同じくらいに
世の女性が脳内でやるやつやな…
(女心を分かっていますね…)
03. WITHOUT U(新曲)
せつないピアノから始まるこの曲は
FIRE BALL 2022で初披露され、
オーディエンスを驚かせた曲です。
その時のMCは、今も断片的にですが、覚えています。
どれだけ口で言ってもうまく伝えられないと思いますが。
パンデミックになり、活動の場が無くなってしまいました。
自分から音楽を取ったら、何が残るんだろう。
自分はなぜ生まれてきたんだろう。
ずっと悩んでいました。
そして答えに行き着きました。
自分は、曲を作って歌うこと。
そしてそれは、受け止めてくれるみんながいるからこそ。
そう思って、この曲を作りました。
聴いてください、WITHOUT U。
実際のMCはもっと長かったと思いますが
記憶に留まっているのは
そのような感じです。
そして始まったこの曲。
最初の1節目からY2の苦悩が叙述され、
涙が溢れてきました。
一体、このパンデミックで
どれほどの苦労を抱えて来られたのでしょうか。
パンデミック初期にとにかく叩かれたのはライブハウス。
加えて、緊急事態宣言が明けた後も
「不要不急の外出はしないように」
のお達しが出され続けました。
そして
多くの人々はライブハウスへ行かなくなりました。
ミュージシャンたちは
いきなり来なくなった我々に対して
「俺達は不要不急の存在か!」
と、自分たちの存在意義を問いながら
どれだけ傷ついたでしょう。
当時のミュージシャンたち、
ライブを開催すれば
「何を考えているんだ」
「感染者が増えているのに」
と叩かれ続けました。
ガイドラインに沿って開催しているにも関わらず
音楽業界のイベントを非難する声は
当時いくつも散見されました。
ライブを2部制にし、人数制限対策をしていたY2も、
ひどい言葉をかけられた1人でしょう。
大きなプロダクションに属しているミュージシャンは
会社に守ってもらう立場ですが
個人事務所ともなると、
会社を守らないといけない立場。
活動をするなと制限される。
状況がマシになり制限が緩和されても
活動をしたら「何を考えているんだ」と叩かれる。
あまりにも過酷で悲惨な状況に
ミュージシャンたちは置かれていたと思います。
パンデミック発生から
人々の心には「心の分断」が起こりました。
世の中は「感染者」を見つけたら魔女狩りのように非難し、
国の努力義務を果たさない人間を「非国民」と差別する。
イベントは「悪」、
自粛は「善」。
WHOの感染対策は「正しく」、
それに疑問を呈する人間は「頭がおかしい」。
2020年
2021年
全体主義が蔓延した、なんとも無残な2年間でした。
2022年初頭、イギリスは
「インフルエンザと変わらない」とし、
一切の感染対策を廃止しました。
英国メディアからもCOVID-19の記事はどんどん少なくなっていき
PCモニターから見る英国は
どんどん「日常」に戻っていっていました。
我が家は2022年の節分の頃に、
幼稚園が学級閉鎖になった後に娘から発熱し
家族全員罹患しました。(市販の検査薬で発覚)
私は何十年ぶりかの微熱、38.3℃。
喉が痛くなったので市販のペラックを3日ほど飲み
みな自宅で過ごしてました。
待機期間を終えて夫が
「ファミレスでも行くか」と言って外食。
外に出られたことで
それまで鬱気味だった気分がすごく晴れたことを覚えています。
ようやく自然抗体が持てた。
外出できる。
周りもかかっている人が多い。
もう誰も「外に出るな」と非難しないだろう。
その後、2月末にウクライナ戦争が始まり
英国のメディアからCOVIDは
見事にほぼ消えました。
英国人の知人は戦争や物価の高騰のことばかりしゃべっていて。
そしてイギリスに倣い、世界は開国していきました。
パンデミック・WHOに対して懐疑的な意見も多く報道されるようになり
欧州では気候変動問題がさらに煽られるようになりました。
「COVIDは気にする人だけが対策している」と聞きました。
海外ニュースをよく見る私も、2022年3月に入る頃には
あまりコロナのことを気にしなくなっていました。
その頃まだ「とにかく1億総カンセンタイサク!」の日本人には
「自分は健康なのでコロナを気にしない」ことは
不真面目に思えたかもしれません。
しかしそれが当時の世界標準でした。
言い方は悪いですが、
日本は2023年になってもコロナコロナと言っており、
世界各国から見れば
極東の「なんか知らんけどまだしつこくやってる島」だったと思います。
「まだまだ声援が足りないので、もっともっと大きい声援をお願いします」
と日本のファンへ言った大谷選手の苦笑いが忘れられません。
随分と言葉を選ばれたと思いますが、彼に祖国はどう見えたのでしょう。
欧州が続々と開国に向けて規制を撤廃。
私も心が明るくなり、ようやく
「ようし、ライブに行こう。」
と思えるようになりました。
次に開催されるライブに申し込もう。
そう思っていた矢先の3月18日の放送。
普段私は子供と一緒に寝て
土曜の朝にY2のラジオを聴きますが
この日は納期が早まり「深夜コースだなぁ」と、
夫に寝かしつけを任せて
デスクで仕事をしていました。
幸い早めに終わって、
23時半くらいからradikoで聴き始めたのです。
聴き終わった後、私が抱いたものは義憤と鬼胎です。
初めて「2部制ライブ」のお知らせを受け取ったときから
体力的にきついだろうなぁ…とは思っていました。
長引く日本のカンセンタイサク。
アレも、コレも、で
体調を崩さないわけないでしょう?
oppressionが掛かり続けている現状に、どうしても憤りを隠せませんでした。
その後眠れず、3時くらいまで色々と思慮を巡らせていました。
いつになったら元通りのライブができるのだろう…
欧州は規制を緩和し日常を取り戻し始めているというのに…
その後に
ラジオ番組の収録は「Y2充電期間」として
2か月ほどサスペンドされました。
この「WITHOUT U」については
その充電期間の頃に
「曲を作りました」
とブログでおっしゃっていたように思います。
そして4月に 3 GUYS ONE の初回公演に参加しました。
1ファンとして
「ちゃんと休めたのかな…」という思いがありましたね。
その後も、この曲に関しては
レコーディングやリリース情報は何も知らされず
ラジオでのリスナーさんからの
「新曲はどんな感じの曲ですか」
のような質問で
「ゆったりとしたバラードです」
みたいな感じで答えられていたと思います。
2022年8月 FIRE BALL
まさかその新曲がパフォームされるなんて思ってもみなかったので
MCで目を見開いて驚きました。
「ライブハウスは悪」
「ライブハウスに行く奴は悪」
「イベント開催は悪」
2020年、
2021年、
あの頃のギスギスした雰囲気。
もう多くの人は忘れているかもしれません。
良い意味でも、悪い意味でも
日本人は忘れる生き物ですから。
だけど、この曲を聴く度に垣間見れるのは
当時のY2の苦悩。
仕事の場を奪われ
仕事をすれば叩く声があり
不要不急の存在と感じ
なぜ自分は生まれてきたのかと
自問自答されていたのかもしれません。
パンデミック中もずっとライブに参加し、応援の拍手を贈られていたファンの方々と比べ
いきなりライブに来なくなった我々に対し
悩み、煩悶する中、
Y2がどういう感情を持たれたのか
分かりません。
ただ、私が最も心に留まった
「あなたに逢えた奇跡に ありがとう」
2022年、あのステージでこの1節を聴いて
「あぁ、(我々が戻ってくるのを)Y2は待っていてくれてたんだ」
そんな思いを抱きました。
絶望に陥りながらも我々へ感謝の言葉を向けたY2に
胸が熱くなり、感極まってしまいました。
そしてその後に続いた間奏では
観客席からの壮大な、壮大な拍手。
2021年のFIRE BALL会場は、参加された方から聞くと
随分と空席が目立ったそうです。
一列全部が不参加だった列もあったようで…。
しかし2022年は、2階席から見たところ
ほぼ満席だったと思います。
2階席から見下ろす満席の1階席は
万雷の拍手。
当時まだ歓声を出すことを許されなかった観客が
皆、それぞれの想いを表現するかのように
この曲の間奏で
割れんばかりの拍手をY2へ届けていました。
パンデミックを経て感じたこと。
ミュージシャンは、不要不急の存在などではありません。
むしろこんな時だからこそ
なくてはならない、
かけがえのない存在です。
不安に押しつぶされそうになったときも
素敵なメロディに乗った、力強い声は
いつだって、心を潤し励ましてくれました。
私は、パンデミック直前にY2に再会できたため
特にそれを強く、深く感じています。
再会できたのはただの偶然なのでしょうけど、
ずっと楽曲を聴いていなかったのに久しぶりに聴いて再び大ファンになったのは偶然なのでしょうけど、
神様が出会わせてくれた、
もっと勝手な言い方をしてしまえば
ご縁があった、
のかな、と思います。
「ご縁がある方とは、また必ず人生のどこかで再会できますよ」
そんな言葉を聞いたことがありました。
これからも、その「ご縁」を大事に感じながら
1ファンとして
Y2について行きたいな…と思います。
そしてすごく個人的なことですが…
この曲、素敵なのがタイトルの響きです。
Y2のセンスが素晴らしい😲
with(~と共に) と without(~が無くて)は
中学の時に習ったと思います。
だからこの曲はタイトルからして
あなたがいない
あなたを共にせず
みたいに捉えられるかもしれません。
ただ、without には実は「仮定法/もし~ならば」のニュアンスがあり、
これを使うと、とっても台詞がドラマティックになりますよね。
ハリウッド映画とかでもそうですが
特に「冒頭で、ためてから相手に言った」ときに
感情が伝わりやすくなる気がします。
英語には「if」を使わない仮定法がいくつかあり、
その表現ができる単語が
with と withoutです。
晴山陽一先生の古い本が手元にあるので、抜粋します。
英語が全然話せなかった若い頃に、晴山先生の本は随分と役立ちました。
●without
with同様、「仮定法」の裏ワザを持つ”一味違う”前置詞
without は with の弟分。とにかく優秀な兄弟なのである。
兄(with)の仕事ぶりを見て育ったため、弟も偉い単語になったのである。環境は恐ろしい。
without は時にこんな離れ業をやってのける。
(1)Without good software, a computer would be a mere box.
「よいソフトウェアがなかったら、コンピュータはただの箱だ。」
兄貴のwithに続き、「仮定法」という最高難度の業務に手を染めたのである。前置詞の分際で。これはもう上級レベルで扱うべき領分なのである。Quote:「たった60単語の英文法」晴山陽一
そう、この曲のタイトルの意味は
「あなたを共にせず」
ではなくて、私には
「あなたがいなければ、僕は…」
といった、その次を想像させる、
シンプルかつとてもドラマティックに心情を表したものだと感じています。
違っていたらごめんなさい…。
ただ、
「(曲は)皆さんそれぞれの人生の中に入っている。皆さんの歌だと思う」
と言われているので、
受け止め方は我々それぞれでいい、と感じています。
リリックの雰囲気と秀逸にマッチしたそのタイトル。
2022年のあのステージで聴いた後、
さすがY2、センスが素晴らしいな…
と帰りの電車で歌詞をおぼろげに思い出しながら、感じていました。
余談ですが
you を U にされているのも、こなれていらっしゃいますね。
海外に友人がいる人は、よく使われると思います。
SNSやフランクなメールでは一文字で書き換えられるものも多いですよね。
for → 4
i see → i c
just kidding → j/k
with → w/
みたいな。
without → w/o
こんなんもあるけど↑これはさすがにやりすぎになってしまいますね😅
タイトル「W/O U」とか、日本人一瞬わからへんもんね。
色々と濃い思いがこの楽曲に詰まっています。
「I AM」は全曲素敵なのですが、
もし、このアルバムの中でいちばんのお気に入りは?と訊かれたら…
「うーん、WITHOUT Uかなぁ…」
と答えるかもしれません。
コロナ禍を経て、30周年を迎えられたY2。
「WITHOUT U」は
今振り返れば
その30年までの通過点での経験を書いた曲ではありますが、
同時に、ここで語られるコロナ禍は
30年というマイルストーンに到達するまでの
音楽人生を左右する、非常に大きなハードルだったと思います。
ゆえに、
「I AM」の核となり、
「I AM」を支える曲、
は…
やはり私は個人的に
「WITHOUT U」だと感じています。
あの2022年のFIRE BALLでの感動は
ずっと忘れないと思います。
04. 栄光の季節(2015)
この曲を初めて聴いたのは、2018年の夏。
Y2の楽曲に再会してすぐ、デジタルミュージックで購入しました。
その時の感想…
「お変わりないんだな。いつも前向きで…」
といった感じでした。
実際に生で聴けたのは、
翌年の西宮でのGUARDIANリリースイベントです。
「ひとつ前のシングルです」
のようなことをおっしゃっていたように思います。
しかし、2019年のFIRE BALLでは私の心を動かしました。
私はファン第1期、最後にライブに参加したのは
2004年のHEAVEN & EARTHだったように思います。
(その後も何かのイベントには行った記憶はありますが、正式なライブコンサートではなかったような…?記憶が曖昧…)
15年ぶりのY2のライブ。
キョロキョロと挙動不審だし、
しばらく時が止まっていたために、
もう「FIRE BALLって何?RACING the MOONと何が違うの?」
「男性が多い!」
という浦島太郎状態でした。
ところが…
第1曲目が「She’s my Lady」でした。
懐かしいナンバーの洗礼を受け始まった、15年ぶりのライブ。
久しぶりに会場で聴いた楽曲たちは
若かった頃のライブでの高ぶる想いを
走馬燈のように BringBackさせたのです。
これはもう、出戻りファンの通過儀礼と言うべきものでしょうか。
若かりし頃に自分を支え続けてくれた楽曲たちが次々にパフォームされ
初めてライブで体験する「THE HERO」などの9th・10thアルバムの楽曲もとても楽しく
懐かしさと新鮮さが入り混じる、忘れられないライブでした。
そしてオーラスはこの曲「栄光の季節」。
上手くいかない想いを隠すことなく綴った歌詞。
完全燃焼のY2からは、すさまじいパワーが発せられ
その力によってこちらの心も動かされました。
自宅で聴いたときには思いもしなかった「エンパシー/共感」を、
ライブ会場では深く感じたのです。
我々が普段、心の中に隠している挫折や頓挫。
年齢を重ね、たくさんの経験をし、
やるせない苦しい思いを積んできたからこそ
この歌詞が、ライブ本番ではグッと胸に来たのでしょうか。
歌詞に込められた思いに共感し、涙が止まらず、
左手で涙を何度も拭きとりながら、Y2に拍手を贈っていました。
あまりの感動に、ライブ後のアンケートに
感情的に感想を書いてしまって、少し反省してしまったくらいです。
(しかも字汚い😱)
この曲の余韻は数日経っても抜けず、
イヤホンから流れるこの曲に
スーパーで「うぅっ、坊くんに骨取り魚を…うぅっ、うぅっ」
とひとり目を潤ませていました(at 鮮魚コーナー)。
以前ラジオでおっしゃっていました。
クラウン社長さんに曲を頼まれたのが、
この「栄光の季節」の誕生のきっかけだったとか。
そして、リスナーの皆さんにも
「みんなと一緒に夢を追いかける」曲です、と
リリースを約束していたそうです。
しかし、事態が急変。
同時期に作られていた「IN THE MIRROR」が
番組タイアップが着くということで
クラウンさんからのリリースとなったそうです。
「栄光の季節」のリリースはお蔵入りになってしまった。
でも、Y2としては、リリースをみんなに約束している曲。
自身のレーベル「WILD EDGE」を立ち上げ
リリースされたそうです。
本当に、
芯があるというか、ブレないというか…
いつも誠実に音楽と向き合ってきた、
そんなY2の軌跡を感じます。
05. 1984(新曲)
このアルバムのリリースが発表された時、
未発表の新曲は「3曲」ありました。
この曲はそのうちの1つで、
はじめてラジオで流してくださって、
とてもワクワクしました😆
ときめくバラードかな?
せつないブルースかな?
明るいポップスかな?
それとも…
おおおおお!😲
イントロからサトシさんのギターが心地よく響く😲
サビから始まるこの曲は
歌詞はマイナーコードから始まり…
でも再びサビは軽快なメジャーコード…
とてもドラマティックな展開を印象付けます。
軽快なサウンドに乗った、Y2の青春時代。
音楽人生が始まった、その日からの軌跡が描かれています。
場景が浮かぶ歌詞に、胸が高鳴り
何と言うか…
良い意味での胸騒ぎ😆
これをライブで体験したらどんな感じだろう!?
心が弾むに違いないよね!😄
会場は総盛り上がりのはず、
そんな予感を得て、興奮していました。
しばらくこの曲だけをリピートしていましたね(笑)
(実際にリリース直後のWHITE BALLADEライブの1部でパフォームされ、会場が熱気🔥に包まれました😭)
リリースアナウンス時に未発表だった3曲は
11月、ラジオで流される度にMP3抽出して
ポータブルプレイヤーに入れて聴いていました。
3曲どれも素敵なのですが、私は3曲の中では
個人的にこの曲をよく聴いていました。
ワクワクする思いが、1日の気分を上げてくれたからです。
高校3年生。街角のライブハウス。
その時の経験が、大学時代に築いていった
「アマチュアバンドとしてのステータス」
につながるのでしょう。
そういえば以前、こんなブックレットが出されていましたね。
武道館公演の際、販売されたもの。
ROUTE816 ANTHOLOGY 1966-1996 として
30歳になるこのお誕生日までのY2の軌跡が
オートバイオグラフィーのような形で書かれていました。
●夢を見つけたSTAGE
1984年 -キャンディホールLIVE-この夜のことを今でも覚えている。
僕は生まれて初めてライブハウスのSTAGEに立った。
STAGEに上がりライトを浴びた時、僕の前に居るはずの客席のみんなの姿はまったく見えなかった。この日まで僕が夢に描いていたSTAGEのシーンとはまったく違ったものがそこに拡がっていた。スポットライトに照らされた逆光の中で、客席はおろか暗闇に向かって歌うしかなかった。そう思ったとたんに足が震えてきた。頬に流れる汗を何回も右手でぬぐいながら、ただ力の限り唄い続けた。そこには余裕のかけらさえもなかった。
多分、聞きに来てくれていた人達の耳には、ひどい演奏に聞こえただろう。最後の曲を歌い終えたとき、暗闇の中から小さな拍手が聞こえてきた。その瞬間、張り詰めた緊張と引き換えに喜びが込みあがってきた。
そして夢を見つけたような気がした。
Quote:ROUTE816 ANTHOLOGY 1966-1996
「STAGE – Born in 66 -」にもある、
夢を見つけた瞬間。
ただ、しっとりと泣かせるあのナンバーとは違って、
明るいサウンドで「1984」は
我々にY2の世界を感じさせてくれます。
引き込まれるのは、
その場景描写と心理描写。
誰しもが抱いた、将来へのワクワク感。
まっすぐなあの瞳を輝かせて
自分ならできる、夢は叶うと疑わなかった、青春時代。
それらが軽快なリズムに乗って
心を刺激するのでしょうか。
非常に惹かれます。
あの時の気持ちと重なるのかな
迷うことなど何もなかった あの頃のように
そう、私は10年間、夢を見ることができました。
あの頃、叶わないなんて疑いもしなかったのです。
今ミドルエイジになり、あの頃を思い出し
心臓がキュンと収縮します。
1993年から2003年
10年間、Y2の曲がリリースされる度に
歌詞から連想されるその場景を
頭のなかで妄想していました。
今回
スーツを脱ぎ捨てて 8ビート刻めば
この1節を聴いたときに、脳内に駆け巡ったのは
ステージ衣装を着て
まばゆいライトの中
バンドのヴォーカルとして歌い、観客を魅了する
若き日のY2の姿です。
手売りでチケットをさばいていた、
アマチュアバンドの男の子。
構図から…セリフから…場面設定から…
曲が始まったら、この角度からヴォーカルの男の子のハンサムな顔をアップにして…
勝手に色々作り上げて、あらぬ妄想をしてしまいました。すみませんキモイですね。
10年間やっていたことって、やっぱり習慣になっていたというか
あれから何年も経ってオバちゃんになってしまいましたが
場景描写が深すぎる新曲「1984」を聴いて、
久しぶりに勝手に妄想特急が走ってしまいました。
この曲の歌詞、素敵なのは
物語はまだまだ途中
の1節。
とても気に入っています。
非常に短い1節なのですが、
ここに込められた、サウンドとともに感じられるニュアンスが魅力的で、
Y2、ついて行きます😄
と思わせてくれる素敵な1節ですね。
リリースの販促で東京に行かれた際に出演されたラジオ番組。
radikoプレミアムに入会して聴きました。
いくつかご出演された中で
DJがご年配の方がいらっしゃいました。
「Age Free Music!」という番組の、富澤一誠さん。
富澤さんがこの曲について熱く語られたのが、とても印象に残っています。
私(アルバムを)聴いたんですが、グッと来たのがあるんです。「1984」。これはもうすごいなと思いました。
たとえば、ちょっとこれ(読み上げて)いいですか?詞でチェックしたところがあるんですが。
「俺18の夜
いつも俺たち 夢抱きしめ
駆け抜けた 1984
そうさ俺たち怖いものなど何もなかったあの頃のように
物語はまだまだ途中
さあここから明日が始まる」
とかね。
あるいは
「夢は終わっちゃいない(中略)
スーツを脱ぎ捨てて(中略)
物語、ストーリーはまだまだ途中(中略)」
1984って(山根くんの)原点ですよね。
山根くんの同世代だと、1984年、ここに何か集約されるものがあると思う。
我々の世代だと、1969年なんだ。学生運動が盛り上がって、東大の安田講堂が落城したときなの。
この後いろんな人が出てきて、1971年に吉田拓郎さんが出てきて、「今日までそして明日から」が出てきた。「今日まで私は生きてきました」とあの人は歌った。「私は」なの。「私たちの歌」が「私の歌」になった。「1969」ってだけでそうなるの。
だから私、「1984」とパッと数字を見たときに、そして歌を聴いたときに
「おっ、これだ!」
と思ったよ。だから今日はこの曲を紹介したいと思います。
熱く語られる富澤さん。
そうなんだ…
Y2より15歳上の富澤さんにとっては、
18歳、高校3年生のときの1969年が思い出に残っているんですね…。
本当、高校3年生って…
自分の未来を描く歳、でしたよね。
そんな富澤さんの話を聴きながら…
自分の原点…っていつだろう…
ふと考えると、
うーん、
私にとっては18歳の頃ではないな…
そういえば以前、高校3年生の頃を思い出し
「あの時私らイカれてたね(笑)」と
高校の友人と言っていました😂
お互い数学ができなさ過ぎて笑える😇ほんまなんでこんなできへんねん🤣
同い年のとある女優Hさんが「W稲田に自己推薦で合格」
というニュースが流れたのは11月。
クラスの女子たちが
「はぁ?推薦?(╬ఠ༬ఠ)وなめとんのかゴルァ!!(#゚Д゚)」となっていました。 怖い怖い!ピリピリ高3!
私にとって原点となった年は、やっぱり
1993
ですかね😊
この数字は、やっぱり
どこかで視界に入ったとき、
まず意識する数字ですから。
1993年、
出逢えた奇跡に、感謝します。
06. THE ANTHEM-魂の応援歌-(新曲)
2020年、パンデミックが勃発し
突然に私たちは自由を失いました。
外へ出るな、と言われ
多くの人の仕事はリモートになり
店は閉まりました。
うちの息子の幼稚園、娘の保育園も閉まってしまいました。
京都・大阪・兵庫では緊急事態宣言が出され
不要不急の外出は自粛せよ、のお達しが出されました。
政府からの様々な方針、
我々はそれに右往左往し
メディアが報じるニュースに一挙手一投足をとられる状態でした。
ミュージシャンたちのライブはすべて開催できなくなり
Y2の声を聴けるのは、
毎週金曜19時からの「STARTING OVER Y2 MEETS ROCK」のみになりました。
先の見えないパンデミック…
この頃、不安におびえる我々とY2をつないでくれたのは、
まさにこの番組でした。
2020年、4月下旬だったと思います。
確か、ひとりのリスナーさんが
「ギターの練習をして、Good-bye Love Roadのイントロを弾いてみたいです」
のような感じのメッセージを送られたような覚えがあります。
そこでY2が、ストロークやカッティングなど、
実際にギターを弾かれながらこの曲のイントロを説明してくださったんですよね。
へぇぇ…この短いイントロにそんな工夫がなされてたんだ…と
聴いていたのですが
驚いたのは、実際にその後
Main Street Show Roomに並ぶ 二人憧れの赤いクーペ
と歌が始まったことでした。
ぶわっと流れる涙。
「会いたいのに会えない」
そんな気持ちが溢れてしまいました。
そして、どうやら私と同じように感じられた方は多かったようで
その時の生歌の感想がラジオに多く寄せられ、
数週間後に読み上げられていました。
ああ、皆さんも感動したんだ…
ライブに行けない今、ラジオから流れるY2の生歌…
会いたい、会いたい、ライブに行きたい、と…
つのる想いがある中、
この生歌が、更に皆さんの胸を打ったのでしょうか。
心温まるたくさんのメッセージに、私も感動しました。
歌われたのは「Good-bye Love Road」の
冒頭の1verseだけでした。
たった1verseだけ。
それでも当時の不安な我々の心を動かすのに十分だったと思います。
その翌週、5月1日放送分では
放送前のDIARYに、「皆さんが初めて耳にする1曲を」とあったので、
えっ…?
もしや新曲か何か…
と少し期待をしていました。
サトシさんとのセッションでパフォームされたのは
「あなたに会いたい」
というやりきれない想い
そして
「僕らは負けない」
という未来への思いでした。
名付けられたタイトルは
「THE ANTHEM -魂の応援歌-」
前週の「Good-bye Love Road」で
Y2の歌声に癒された幾人ものリスナーたちは
この日、この放送で曲を聴いて、
こらえられなかったのではないでしょうか…
そう思うのは、私自身が
THE ANTHEMが流れたこの時、
涙腺が崩壊したからです。
毎日、毎日、
ピリピリとした生活。
いつになったらこんなこと終わるんだろう…
とため息しか出ない毎日。
そんな中
日常が戻るのは、毎週金曜日の19時でした。
Y2の明るい声。サトシさんとの普段通りの会話。
「音楽業界はどうなっているんだろう。」
「Y2、つらいこと、いっぱいあるはず…」
たいへんな状況にいるはずなのに
Y2は
何もなかったかのように
我々を励ます曲を作り、
ラジオ番組で生歌として放送してくれました。
この日、
まだ小さかった息子がワガママを言うので叱ったら、
18時頃、ソファで泣き寝入りされてしまいました。
本当なら1時間程度で起こさないといけないのですが、
2人のうち1人でも黙っていてくれたら…という想いで、
2歳の娘に夕飯を食べさせながら
19時過ぎからradikoのタイムフリーで聴き始めました。
娘に食べさせないといけないのに…
とこの時、本当に思えましたね。
ステイホームでご自宅からお仕事していただきたいくらいでしたが
思うのは、CD化しないのかな?ということ。
皆さん、同じように感じていたようで
この曲のものすごい反響とと共に
CD化を希望するメッセージが
しばらくラジオで読み上げ続けられていました。
その後、一部の歌詞を前向きに書き直されたバージョンは
レコーディングされ、ラジオで流されていました。
「CD化というのは、考えていないのですが」
そうY2はおっしゃっていたのですが
やはり、リスナーの声が大きかったのか
7月に入り、クラウドファンディングのリターン品のひとつ
「プロジェクト限定CD」として追加されたんですよね。
Quote:https://camp-fire.jp/projects/view/299149
10月に入り、
サイン入りのCDが届きました。
早速WALKMANに入れて聴いていました。
レコーディングされたものは、
あの日ラジオの収録スタジオでサトシさんとパフォームされたものとは
印象が違います。
切なさが前に出た生歌バージョンとは違い
未来に希望を持って、
歌詞を少しリライトし、レコーディングされたのが
この、現バージョンです。
私は生歌バージョンの方が
あの時の涙腺が崩壊した思い出があり
より、好きですね。
急いで作って、シンプルにアレンジしたんやけど。
サトシ、ちょっとこれやるから。はいこれ楽譜。
もしかしたら
そんな会話があったかもしれませんね。
2023年に新しく始まったライブ「NAKID JAM」では、
そういった即席の気迫がこもった
素晴らしいY2の「off the cuff song / 即興」が味わえました。
急に楽譜を渡されても
動じないサトシさんもすごいです…
本当、素晴らしい才能です。
ステイホームの時期に我々に寄り添ってくれたこの曲、
そしてこの曲が流れたときの感動は、
忘れることはないでしょう。
07. 破れかけた僕らの愛は(2019)
GUARDIANのカップリング曲ですね。
軽快なサウンドに乗って流れる歌詞は
他の曲にもよく出てくる
「車」「季節外れの海」「風」というキーワードに溢れており
この曲はY2ラブソング世界の定番、という位置づけでしょうか。
本当にロマンティックな歌詞ですよね😊
珍しく出てくるのは
2コーラス目の「愛の翼」という表現。
ちょっと昭和っぽいイメージを抱く人もいるかもしれませんね。
Quote: https://futabasha-change.com/
以前、双葉社「THE CHANGE」のインタビューで、
マネージャーさんが
「昭和の男なもので…」
と言っていたのが、1ファンにとっても
「確かに…」と思えるところでもあります。
そしてそれがY2の味だな、と思います。
どストレートなところ。
古くからのファンは、覚えているかもしれません。
「恋という名の翼(1995)」の世界観を。
「自分の持っている”想い”というものを”翼”という言葉で例えたものなんです。
それで”空”というのが、”自分の胸の中”ということで。
迷っている部分があったり、風があるがゆえにちょっと自由すぎる意味で、さすらうっていう意味でも”翼”という言葉は、この曲にとっていい言葉かなと思って」
私はすっかり忘れていたのですが
再びファンになり過去のブックレットを開いてみると、
そういうことが説明されていて
おぉなるほど…と読んでいました。
曲の前半は、うまくいっている二人
次に、すれ違いが生じてくる
愛が破れかけていると感じる
君のいない明日はないと実感する
ここで出てくるのが
「君がくれた この愛の翼で」
の1節。
次に繋がる
「夜明けの風を見つけに」
までの叙述で
これまでの君への大事な想いがあるから
二人を離れさせはしない
という気持ちが汲み取られます。
‧˚₊*̥(* ⁰̷̴͈꒨⁰̷̴͈)オォォォォ…₊*̥
こういうところ
さすが、ロマンティストであるY2が
リリシストとしての才能をいかんなく発揮していると感じるんですよね。
日本語って、単語ひとつ、助詞1つで
雰囲気が微妙に変わってしまうので
リリシストが紡ぐ、繊細な表現って
身を削って生み出されているんじゃないかな、と
いつも思います。
女性に洋楽好きの方が少ないのは
「歌詞に共感したい」と思うことが多いからかもしれませんね。
母国語じゃないと、込められた細かなニュアンスに気づきにくいです。
洋楽の歌詞を説明しているサイトもありますが
そんな感じで
語学上級者に「このdawn / 夜明け が含む意味は…」とそれを説明されても
「なるほど、そうなんですね」
で私は終わってしまいます。
男性はそれで理解できていいのかもしれませんが
女性はやっぱり
歌詞の内容だったり、
展開される物語に、
スーッと浸透する母国語で感動するほうが多いんじゃないかな。
加えて、
そこでヴォーカルの男性がイケメンだった場合、
より一層のめり込む(❤︎Ꙭ)のでしょう。(←経験談)
細かなアレンジも聴きどころだと思います。
この曲には、重ねた自ハモコーラスがたくさん入ってますよね。
心地よいこの声、そよぐ風のように
優しく耳をなでていくようです。
本当に不思議なのは、Y2は年々声が低くなっているのに
ハモったコーラスが美しく、時に幻想的に聞こえること。
ところが
ご本人はあまりヴォーカルにはこだわりがないそうで…。
このインタビューでも言われてましたが、
「結局、(ヴォーカルは)雰囲気なんですよ」
とのこと…。
うーん、そうかな?😅
ご本人にはそうなのかもしれませんね。
でもね
長年の1ファンからしてみると、
Y2はヴォーカリストとしての魅力も溢れた
素晴らしいアーティストだと思います。
08. WALKERS(2015)
ライブでもよくパフォームされる、メッセージソングですね。
OneMoment や TAKE A CHANCE と同じセグメントかな。
「WALKERS」は、上記2曲と同様に
前半に挫折や葛藤が叙述され
それでも後半には
「前を向いて 歩いて行く」
というポジティブな歌詞が書かれていますね。
つらいときこそ、メッセージソングは心に染みわたりますが
歌詞やメロディが自分にリンクしなければ、
あまり響かないかもしれませんね。
いつも思うのですが
女性に比べ、男性は
自分の弱い所を他者に見せることは少ないように感じます。
外になかなか気持ちを出せないからこそ、
男性が普段、内に秘めている純粋な思いは
リリックスとして叙述された際に、
我々は共感してしまうのかもしれません。
失敗、悔しさ…
何をしてもうまくいかない。
途方もない困難に打ち砕かれそうになった。
でもそれを超えて、
挫折が大きければ大きいほど
「それでも歩いて行く」という男性の強さが表現されたときに
大きな頼もしさを感じ、
「またあの曲聴きたいな」と思うのでしょう。
どんなに小さな一歩でも
未来は変わるさ きっと…
今、Y2はどうお感じでしょうか。
コロナ禍のライブ。
2022年のライブ、私は
「今年は倍返しだ!2020年、2021年の分を楽しむ!」と
4月からは毎月参加していました。
ライブレポートを書いていないライブなのですが
2022年の、あるときのGIG。
参加人数が随分と少なかったのです。
とどいたチケットの座席番号を見て、
番号が若いので
「ん?前のほうなのかな?」と感じたのですが
実際に行ってみると、最後列の右端。最後の最後です。
そして驚くことに
最後列だというのに、ステージが近かったのです。
座席に間が空いているし、
列が少ないのでステージが超見やすい。
観客の数を数えながら…
思い出すのは、2019年、ギュウギュウに詰め込まれた会場での
9月のGIGでした。
2019年、ファンクラブに再入会の際、
もうGIGの申込期間は過ぎていたにも関わらず
「ぜひ行きたいのですが、チケットはもう無理でしょうか…」と
ねじ込んでもらった公演です。
あの時と同じ会場には思えませんでした。
なかなか戻らない観客数。
あの座席を見て、Y2はどう感じたの?
春の3 GUYS ONEより減っていました。
それでも、変わらないのは
ステージで一切の手を抜かないY2でした。
我々はマスク・マンデイトがあるし、歓声も出せません。
観客の表情はよく分からないでしょう。
そんな状況だけど、
少ない観客だけど
いつも通り、一生懸命にステージをこなされました。
どんなに小さな一歩でも
未来は変わるさ きっと…
そんな思いを、いつも抱えていらっしゃるからでしょうか。
一歩ずつ歩み、
コロナ禍を乗り越え、30周年を迎えられ…
嬉しかったのは、先日のクリスマスライブ
WHITE BALLADE 2023 の観客数でした。
(また落ち着いたらライブレポートをこっそり書こうと思っているのですが)
この 「WHITE BALLADE 2023」、
なんと、
SS席がなんと、
5列😲にもなっていました!
ぎえええええ!
と前方を埋め尽くすSS席の多さに驚くと同時に
開場の後ろまで座席が詰まり
満員御礼だったことに、
なんだか…ワクワクしました。
戻ってきてる…😭
観客数が戻ってきてる…😭と
ただの1ファンなのに、とても嬉しかったです。
そう、
決して折れない心
味方につけて
ゆっくりでいい
歩いて行けるから
僕らしくあるため
その一歩を…
その通りですね。
前向きな思い。
そしてそれを元に、コロナ禍を乗り越えたY2。
これから、どんな困難があっても
彼の曲を聴いて、乗り越えていきたいと思える曲ですね。
09. IN THE MIRROR(2015)
初めて聴いたときに、疾走感のあるサウンドと、
ロマンティックな展開に惹かれました。
特にイントロが特徴的ですよね
サトシさんのギターが轟く!
まさにエンジンをふかしているような印象を受け
そこから始まったのが
真夜中のHighway
おお!Y2お得意のドライブネタですね😄
と思いました。
重厚なサウンド、
テンポよく進むそのリズム。
そして出てくるのは
サビで重ねたY2のコーラス👆です。
「男性の強さ」を印象付け、
感じられるその勢いが
運転速度を隠喩し
この曲の疾走感を助長しているように感じるんですよね。
スピード感がものすごいこの曲、
FIRE BALLのステージでは
間奏の際にサトシさん🎸やサックスのミツルさん🎷が
花道に出てきて演奏してくれたりするのも
より一層ステージを盛り上げていると思います。
BOYS & GIRLSの照明もすごいのですが
この曲のステージライトも負けてません!😆
歌詞の後半は、彼女の元に引き返そうかと悩む彼。
彼女は今、誰を追いかけているのか。
僕たちの夢は消えていないか。
このあと、どうなるの?
この彼氏は、彼女のレーンに合流できる?
運転中は、車の流れがあって
落ち着いて考えることもできないよ。
引き返すなら、今決めなきゃ。
チャンスを逃すと、車の流れでどんどん先に進んでしまうから。
これ以上、彼女と離れていいの?
彼氏よ早く決めろ!
そして決めたなら、すぐに方向指示器を出して
来た道をリターンしろ!
疾走感の中、悩む彼の気持ちが感じ取られる描写は
その一瞬を切り取った、ドラマのワンシーンのよう。
思わず感情移入してしまう曲ですね。
この曲は本当、ドライブのお供にぴったりで
運転中にかけたい曲の上位に私的ランクイン😆
(あ、法定速度は守ります)
20年のキャリアを超えたシンガー・ソング・ライター山根康広の本人100%プロデュースによる新作「IN THE MIRROR」は、映画のワン・シーンの様に『別れの予感を感じながらも、あきらめきれない恋心、危うい男女の気持ち』をロック・サウンドにのせて熱く歌う山根ROCK。「WALKERS」は『失敗、挫折を経験し弱音を吐きながらも前を向き、明日への一歩を踏み出す事が自分らしい』と背中をやさしく押す応援歌。山根康広の歌声が輝くニュー・シングル!
Quote:HMV&BOOKS online
前作のデビュー20周年アニバーサリー・アルバムから2年ぶりのリリースとなった21枚目のシングル。すでにベテランの域に達した山根だが、彼の作る普遍的な楽曲は時代を超越していて、いい意味で変わらない。いまもなお青春の一途さを表現できる稀有なシンガー・ソングライターだ。
Quote:CDジャーナル データベース
10. GUARDIAN(2019)
美しいロックバラードのGUARDIAN。
年号が令和になり、初めてリリースされた曲ですね。
ストリングスから始まる美しいこの曲は
何か、Get along togetherのアンサーソングのような
結ばれた二人のその後を描いた曲のようにも感じます。
さらに深い愛情を相手に伝え
思いやりと慈愛に満ちた曲だと思います。
Y2の性格がそうなのだろうと思いますが
穏やかな優しさが、ふんだんに溢れていますよね。
「うん、うん。」と
歌詞を咀嚼し、自然に心に入ってくるのは
長年のファンだけではなく
新しいファンの方々もそうではないでしょうか?
まっすぐな歌詞はストレートに心にしみこみます。
照れもなく愛を語るのは、Y2の正直さの表れ。
(実際はこっ恥ずかしくて言えないけど、歌なら大丈夫だそうです)
その一途さや愛情深さ、どストレートさに
女性陣はキュンとくるのでしょう。
感受性が豊かじゃないと書けないような
「毎日の出来事は けして偶然ではなく
未来へと続く物語」
のような表現には
聴きながら…共感する気持ちを強くもってしまいますね。
人生って…もしかしたら
ひとつの物語かもしれませんね。
君と出会うために僕は生まれてきたと信じた
それでも待っていたい
ただ二人の運命を信じていたいから
二人が出逢ったとき 生まれてきたその答えを
君は教えてくれました
根本にそういうコンセプトを抱え
歌詞を書かれているのかな。
昔からお変わりなく、ロマンティックで素敵ですよね😊
年齢を重ねられても、繊細な歌詞を書かれているから
大人の深い愛情を描いたラブソングも
我々ミドルエイジ世代の心に響くのかもしれません。
この曲のリリースのとき、Mカードっていうのが販売されましたね。
私は初めて買う物でした。
2019年7月
リリースイベントのフリーライブが
西宮ガーデンズで開催され、
私は久しぶりにY2のお姿を生で拝見しました。
30分のミニライブ。
短い時間もまったく手を抜かず、情熱的なライブでした。
「お変わりないんだ…」
という感動を覚えました。
その後、本当に久しぶりに握手していただいたんです。
ガタブルになりながら
🦔「お久しぶりです10年ぶりくらい…」
Y2「あーほんまに!😊」
1瞬のことだったのですが、非常に非常に私は嬉しく
ファンクラブのライブイベントに行けたらもっと会えるのに!」
自宅に帰ってからも
しばらくGUARDIANを聴きながら
自問自答。
「山根さんのLIVE行ってきまーす」
なんて、ちょっと難しいな…。
息子も自分で出来ることが増えてきたしな…
娘ももう少ししたら抵抗力ついてくるかな…
ママ無しで、寝られるかな…
このときファンクラブ再入会を検討し始めました。
当時の私を変えました。
11. DIAMOND SIGN(新曲)
アルバムリリース時に関東のラジオ番組にご出演され
よくかけられていたのがこの曲です。
そのひとつ、伍代夏子さんの番組「ふんわり」に出られた際
伍代「いいですね、今の
『君を守るために 僕は生きていく』
はぁ…(ため息)いいなぁ。
私も今、犬を飼っていて。
リクを守るためにずっと元気で生きなきゃと思ってるので、
なんか、うんうんうん!と強く思って聴かせていただきました。」
Y2「人って自分のためには出来ないことでも、大切な存在のためなら、できるんですよね」
伍代「そう、なんか、ジーンと来ちゃう。」
そうおっしゃられていましたね。
「夕立」に次いで
このアルバムで未発表の新曲、この「DIAMOND SIGN」には
穏やかに寄り添う大人の愛
それも
どこまでも深い、無償の愛
が描かれています。
ゆるやかなスローナンバーのサウンドに乗せて
流れてくる穏やかなY2の声は
果てのない温かさを感じます。
この曲を聴きながら、私が個人的に感じたことは
「声の甘さ」
と
「声の力強さ」
の
共存です。
例えば、甘さ強さのコントラストが分かりやすい箇所は
2コーラス目
「夜空に瞬く この星の数」
「だけ あなたを愛し 抱きしめて行くよ」
とかでしょうか…
年齢を重ねられても、どうしてこんな甘い感じに声が出せるのかな
とひたすら不思議です。
基本が「低音ストレート」のヴォーカリストだからでしょうか…
Y2の声の特徴…
私は音楽のことがまったく分からず
偉そうなことは何一つ言えません。
素人目線の個人的感想ですが
ここで
著名なミドルエイジ以上のヴォーカリストについて言えば…
そうですね…、たとえば
Y2より年上の60代以上で
大御所の方でしたら
玉置さんは
ブレスがすごい。効果音のように余韻が残る感じに聴こえます。
安全地帯とは違ったソロの楽曲もいいですね。
桑田さんは
粘度が高い。
とある日本人英語話者の方の意見ですが
「邦楽を歌うときにRを効かせるとサザンの歌っぽくなる」
と言われていました。
なるほど、私は英国発音寄りなのでR発音は苦手ですが、そのへんは…うん、分かります。
(ただ桑田さんの声は聴き続けると二日酔いしそうなので個人的に聴きません。)
サザンから離れたソロの楽曲もかなり支持されていますね。
小田さんは
ささやき系ハイトーンボイスがすごい。
落ち着いた箇所の歌い方なんかは
耳元でささやくような感じに聴こえるのが素敵ですよね。
この人はオフコース解散後の方が有名なのですかね。
御三方とも、
バンドとは別に
ソロでもご自身の味を出されている方ですよね。
そして
Y2の声の魅力は、
「低音ストレート」だと思います。
上記に書いた
玉置さんのようなフボワワッという効果音ブレスもなく
桑田さんのような粘度もなく
小田さんのようなささやき系ハイトーンでもなく
低めの地声を活かした、直球系の声の出し方
だと個人的に感じています。
実直で、男らしい
それが私にとって
長時間聴いていても、
とてもとても心地よいです。
声自体がエモーショナルな楽器というか。
普段お話しされる地声が低いでしょう?
(…これがなんとも…➳ ( ˙-˙=͟͟͞͞))
低めの地声をベースに
お若い頃は高音も出されていて
ストレートに爽やかに心に突き抜けました。
(見た目も声もなんとも爽やかイケメンでした)
普段が低音ストレートだからこそ、
ささやくように歌われた時に
「優しさ」が助長される印象になるのかもしれません。
全曲聴いて、トリがこの曲。
Y2の優しさに包まれ、アルバムを聴き終えることが出来ました。
偉そうに勝手に感想なんか書いて、色々すみませんでした😅
でもY2の1ファンはこういう風に感じた、と
知っていただけたら嬉しいです。
本当に、とっても素敵なアルバムなので。
余談(リリースイベント)
このアルバムと、同日リリースのベストアルバムは
リリースイベントが開催されました。
私はリリース日の前に
「CDは完売で新規の予約はもう受け付けていません。入荷予定も未定です」
とタワレコさんに言われていました。
しばらく仕事をする気も起きず…
呆然となり、
天を仰いで
目を潤ませてしばらくシーリングライトを見つめていました。
ただ、可能性を求め、追加の入荷についてクラウンさんに問い合わせしたときに
「サイン券つきの当日追加販売は調整中です」
と言ってくれたので、
一気にパァァァと明るくなれました
「ただ、山根は同日に名古屋に移動ですのであまりたくさんは出せません…」
確かにそうですよね。追加分は「この日のこの指定時間に買いに来れる人だけ」にしないと
イベント時間が押してしまうんだろう…と思っていました。
日本クラウンさんから木曜の晩に
「明日(イベント前日)にCD追加販売します」
のアナウンスがありました。
明日、金曜20時( ゚д゚)
その時間に仕事をされてる方や、
食事の約束を入れてる方、
遠方の方、
小さい子の育児や習い事の送迎をしなきゃいけないママなんか(←私はここの層)は
外出できない時間です
しかし私はラッキーでした。
ミラクルが続く😲
偶然、この前日の追加販売日は
息子の習い事が臨時お休み(送迎なくなった!)
夫が家にいてくれる(娘みててくれる!)
というので
仕事を早めに切り上げ、
16時から晩ごはんを作り、
18時にお風呂にお湯を入れてから
「ごめん!買ったらすぐ戻ってくる!」
と梅田に向かえました。
(夫の協力なしでは推し活は為しえない…)
前日のタワレコさん↓
20時に間に合った😂
無事にサイン会の参加券が入手できたときの感動よ…( ;∀;)
諦めていたのに…ありがとうございます。
そして貴方(サイン券)に逢えた奇跡にありがとう…。
この日買ったCDは、ドライブ用に車に置いておきます😄
帰宅して22時台に娘を風呂に入れる…
ごめんね幼稚園児に夜更かしさせてしまって…
明日は土曜だから寝坊してね…
当日の茶屋町のタワレコは
何か、ジャニーズのなんとかさんのグループのパネルが展示?されていたのか
若い女の子がたくさん…。
11:45になると、特設ブースからトークイベントの整理番号が呼ばれ
みなさん、呼ばれて中に入っていっていましたね。
その後に扉が閉められたので、
サイン会だけのファンは
扉の外で待ってたんですよ。
声はほのかに聞こえました。
もっと扉に近寄ったらよく聞こえてたんでしょうけど、
かわいらしい若い子たちがブースの扉の写真を撮ってるので
こんなタヌキみたいなオバハンが邪魔になったらアカン😱と思い
少し離れていました。
「先週はイベント渋谷でした」
「東京でプロモーションしてて」
「生放送のラジオなんか出たり」
みたいなお話、されてたんですかね。よく聞こえなかったんですが😓
手持無沙汰の待ち時間…
当日販売の I AMは早々に売り切れたようです。
おそらくこのPIECE OF LIFEも…。
おー😆
トークイベントは早めに終わり、
ブース内に入ることができました。
Y2は椅子にも座られず、
サインを書くときは中腰で
渡すときは姿勢を正して。
お一人おひとりに丁寧に御対応されていました。
ギュウギュウのイベントブース…
すごい人数で…
腰、大丈夫かな?(私は腰を痛めたことがあるので…湿布の毎日でした)
私物にサインしてもらってる方もちらほら。
あっ!サトシさん、いらっしゃいました☺
なんか、存在が安心感をもたらす…
白の油性ペンをY2に渡されたり…あうんの呼吸ですね。
心臓に悪いなあ😭
順番が近づくにつれ、動悸が…
目の前のY2に、言葉が詰まります。
用意していたセリフは言えず、
かろうじて冒頭の一言だけお伝えすることができました。
ライブでは緊張しませんが
やはり直接お話できるとなるとガクブルになってしまい…。
エレベーター前でリフトを待っている間、
CDジャケットをケースに入れようとしたけど
手が震える…なかなかケースに入らない😭
(挙動不審の中年女性)
なんというチキン…
しかし、嬉しい…(*´-`)゚・*:.。. .。.:*
推しの存在というのは、本当に良いものですね。
無理して前日晩に外出させてもらい、
サイン券を入手した苦労が報われる感じです😭
(夫に本当に感謝…)
お話できたのは、今年5月の高槻JAZZ STREET以来です。
ただ、あのときはビニールシート越しでした。
顔が見えにくいんです。
さらに屋外ステージからの音で、互いの声も聞こえにくいし
アーティストのすぐ横を一般人が歩いている、という異例のシチュエーションでした。
その「変な感じ」が緊張を緩和させてくれていたような気もします。
私が初めて握手していただいたのは大学生のときでした。
四ツ橋の厚生年金会館です。
あの時は本当に心臓が破裂しそうになったことを今も覚えています…。
あまりの緊張に地蔵状態になり、何も言葉を発することができませんでした。
頭が真っ白になり、かけてもらえた言葉も明確に覚えていません。
こちらがまだ若かったこともあり
「また応援してな」みたいな、フランクな言葉だったような気がしますが…。
今は、さすがに心臓破裂まではいきませんが
動悸が…😭
この子たち高校生かな
イベントブースの扉の前で写真を撮って、
加工して推しのアカウントに送ると言う…
へぇぇ…と微笑ましく見ていましたが
今の若い子って、SNSのせいもあるのか
推しとすごく心理的に近いのかな
SNSでは公式アカウントに気軽にメッセージを送ったり、
公式から「いいね」をもらえたり、
本当に便利なツールですよね
(お嬢ちゃん、我々昭和民👩🦱が若かった頃(平成初期)は「紙のファンレター」だったんだよ…)
この会場でもすごく自然に、Y2とお話してはるファンの方もいますが
私には無理だな…。
(回数を重ねると慣れるんでしょうかね😅)
私にとってY2は
世界が違う人です。
キラキラしたステージの上にいる、
皆に夢と感動を与える人。
特に、あの1993年、1994年を体感した方、また私と同世代の方には
共感してもらえるかもしれませんね。
多感な頃、思っていたのは
この人は「別の世界の人」。
パンデミック中盤、私にはすごく助けられたお医者さんがいます。
自分と同い年の医師 N先生のブログを読んで、
「なるほど、確かにそうだ…」と共感した箇所が下記。
40代の僕にとって、今50代の人たちは、常に憧れだった。
僕の妻も言う。
「13歳のときからずっとF山M治が好きで、毎週ラジオを聴き、出演するテレビも欠かさず見て、ライブにもたくさん行った。本当に好きで、子供が生まれたら名前はM治にしようって思ってた」
分かる。13歳の中学生から見ると、25歳のF山M治は神様みたいに輝いていた。
10代にとって、20代のお兄さんお姉さん世代はキラキラしていて、やることなすことすべてがカッコよく見える。首が反り返るほど仰ぎ見る存在なんだ。
13歳の僕は、23歳の人とまともに話をすることなんてできなかった。でも今、40代の僕は、50代の人と対等に話している。あと30年もすれば、70代、80代として、僕らは同じ高齢カテゴリーにくくられることになる。年齢を重ねるにつれ、10歳の年齢差が“消滅”してしまったわけだ。
それでも僕は、今50代の人たちを“人生の先輩”だと思っています。Quote:note.com/nakamuraclinic/n/ndf5c9e87111e
この表現はツボりました。そう、その通り。
多感な年頃だった30年前、
キラキラ輝いたY2は私にとって、首が反り返るほど仰ぎ見る存在でした。
すごくハンサムでいらしたので、
今も当時の整いすぎたお顔を見つめるたびに、
キラキラと後光が指すようです。
当時、やることなすことすべてがカッコよく見え、
視界に入れると目の保養にしかならない存在でした。
そして素敵な楽曲たちに感動し
「こんな風になりたい、私も人に感動を与えたい」
と思える憧れの存在でした。
学生時代、ずっと感じていました。
私も向こう側(表現者側)の世界に行くことができたら
この人に仕事を依頼できるかもしれない。
ただ、向こう側の世界に行けたとしても、それはスタート。
世間の支持を得ないと続けることができない。
常に日本の多くの人の評価のなかで生きていくことは
生易しいものではありません。
ロールモデルとしている女性作家のエッセイに
「世間からの評価に、また胃を痛めて吐く。」
と書かれていて
そんな仕事、私にできるだろうか?
そこまでの力とセンスはあるだろうか?
いや、できない。何よりメンタルがもたない。
そう感じ始めた4回生の頃に
「自分の力量」と「自分の分際」を実感し
シュルシュルと情熱がなくなっていったことを思い出します。
社会人1年目の頃は仕事ができず
怒られてばかり。
早く一人前にならなきゃ、と
キャリアを磨くことを念頭に置くようになり
曲を聴かなくなった結果、ファンを離れてしまいました。
しかし、ファンを離れているその間も
私の中のY2の位置づけは
止まったままだったようです。
というのも
先日、片付けをしていたら
古いノートが出てきました。
黒いモレスキンノート。
開いてみると、内容は30歳の頃書いたもの。
当時会社員でしたが
30歳で週末起業をしたために、
自分の考えを棚卸しながら、
スキルを伸ばすための5年後10年後の戦略をたていました。
ヨンアちゃんの写真が…
そういえば当時読んでいた女性誌はOggi と日経WOMEN。
これくらい痩せたいと思っていましたね…残念でした🐷
当時の目標のひとつは
本を1冊30分で読むこと。
そういえばモノによってはできるようになったね。
当時の速読練習の賜物だな…。
当時の私はワークシートのクエスチョンをノートに貼り、答えていました。
字きったな!💩
Q1 自分の人生に大きな影響を与えてくれた人、尊敬する人を挙げてください。
A1 ①Y2
②S先生
あっ…
このメモを書いたのは30歳です。
しかし、
Y2の曲を徐々に聴かなくなったのは24歳の頃。
思い出BOXの中にCDを入れたまま、まったく聴かなくなった30歳の頃でも
しっかりとY2は
「人生に大きな影響を与えてくれた」人として
私の中に存在が確立していたようです。
S先生というのは、高校時代に出会った自習室のチューター。私は塾にも予備校にも行けなかったので、自習室で勉強していました。
この先生からは「お前は明日死んでしまうとしたら後悔はあるか?」
と、人生観の変わる話をしていただけました。
Q2 その人のどのような考え方や言動、特徴、資質があなたに影響しましたか?
A2 ①Y2:夢を追う情熱、人を想う情熱
②S先生:後悔しない人生をおくること
Q3 あなたが2を見習って行動することで、周囲の人たちの人生に、どのように影響を与えることができますか?
A3 ①Y2:何かに向かって一生懸命になること
②S先生:今を生きる大切さ
そう、お若い頃から
いつだってY2は一生懸命でした。
歌詞に表れる人柄もそう。
おそらくそういった誠実なところは
まったく曲を聴かなくなった頃でも
印象深く
心の奥深くに刻まれていたのだろう…と思います。
偶然にも、ファンを離れていた頃の自分のメモに
Y2の名前を発見し、
嬉しく思いました😊
キラキラした世界で輝いていた、憧れのお兄さん。
その印象のまま、ファンを離れ、
そして再びファンになりました。
今年はもう58歳になられるのですね。
その渋さで突っ走っていただきたいですが
私にとって、Y2は
ミドルエイジになられても、
これからシニアエイジになられても、
ずっと私の「スター」であり
「憧れのお兄さん」です😊
Y2, congratulations on the release of your new album in 10 years.
I was discouraged at one point that I would not be able to get your autograph, but as it turns out, I am delighted that I successfully got it.
I really wanted to meet you on this day. So I asked my husband for a kids sitter and got a ticket for the autograph.
That is because the day after the release date of this album is the anniversary of my meeting you 30 years ago.
Quote : wikipedia
December 7, 1993.
I was casually watching a music program on TV. You came on and won my heart.
I think I was so thrilled that I let loose for a while. This was the moment I fell in love with your music.
After listening to your first album BACK TO THE TIME, which I purchased later, my future goals have been determined.
December 6, 2023.
Your 30th-anniversary albums were released. It has been a full 30 years since I met you.
On December 7, 2023, I began my 31st year with your music.
I am happy to see you again, to fall in love with your music again, and to be able to sing them with my children while driving.
Thank you once again for your excellent work on I AM.
You will always be my “star” and at the same time my “admired man”.
Yes, YOU ARE.