「Get along together~愛を贈りたいから~」で知られるミュージシャン
山根康広さん。
ファンからは「山根さん」もしくは「やんちゃん」とよく呼ばれています。
お生まれ
幼稚園時代
お母さま(通称オカン)が先生から
「何か音楽の才能があるような気がしますので楽器を与えてみられては」
と言われ、ピアノを買ってもらったそうです。
小学校時代
ご自身のことはキカイダーだと信じ、
健康診断の日は「ヤバイ!見つかる!」とすごく焦っていたそうです。
秘密基地を作ることが大好きで、ドアノブなどを拾ってきては収集し、建設材料にしていたそうです。
入院中のクラスメイトに、みんなでメッセージを録音して後で聞き返し「この声俺?」と驚かれたそうです。自分の声を人に聞かせるのが恥ずかしかったそうです。
中学校時代
高校時代
だけど、ボーカルが一番嫌だったそうです。
「歌を歌うのはタイヘンだし、人前でしゃべらないといけないし。さすがに今は慣れましたけど。」
とおっしゃっていますが、当時の気持ちを忘れないように、なのか、3rdアルバムの10曲目「STAGE」を聴くと、その様子が分かります。
大学時代
私の大阪に住んでいる親戚が「BE-FREE Collection PartⅡ」のCDを持っていて、私が山根さんのファンだということを知って1995年にカセットテープへダビングしてくれたので、よく聴いていました。
完成度が高く、大学生が作るレベルではないと思います。
学生時代に結成した最後のバンド、BE-FREEは、関西でビッグネームとなっていた。
1本のカセットテープ、そして1枚のCD。これがBE-FREEの存在を残す証だ。だが、このバンドは今はもうない。数多く出場したコンテストでは、結果はいつも2位だった。
デビューを約束された優勝バンドは、コンテスト前にあらかじめ決められていた。
Quote:DATA BOOK 栄光への軌跡
また結果は2位、楽器を片付けて帰ろうとしたとき、
レコード会社の方が声をかけてきて
山根さんだけ別室に呼ばれたそうです。
「君たちのバンド、惜しかったね、でも実力は十分ある。」
ただバンド全体となると…
ベースとドラムはこっちで用意するから、
ヴォーカルの君と、ギターだけ来ないか
という内容だったので、お断りされたそうです。
※バンドでのデビューをずっと目指されていたようですが、バンドは結局1991年に解散。1993年にソロでデビューされました。デビュー曲はレコード会社の意向でバラード。そして大ヒットしたので
1993年、多くの人に「山根康広=ソロ歌手」のイメージがついてしまったかもしれません。
しかし1ファンから見ると
山根さんはずっと、
ライブではロックバンドのヴォーカルという位置で
バンドでのグルーヴ感を重視したミュージシャン活動をして来られた、という印象があります。
曲の間奏でサウンドに乗りながらバンドメンバーの紹介をし、
最後に
「そしてヴォーカルは、ヴォーカルは、山根康広です!」
というバンドスタイルのライブでした。
会社員時代
6月、7月、8月 各ライブハウスにてライブ・イベント出演。
1991年2月 BE-FREEは活動停止となったそうです。
就職して働き始めると、ほとんどゆとりのない忙しい毎日が続いた。日々の生活に押し流されるように、彼の夢は消えかけていた。
そんなある日、一通の手紙が届いた。
「最近ライブがないですね。私の力は小さいけれど、一生懸命応援しますから頑張ってください。」
決して楽なことではなかった。
知り合いにバックバンドを依頼し、スタジオ代やバンドメンバーの交通費を全額負担し、チケットも全て手売りで捌いた。
ライブ活動を続けながらデモテープを作っては東京のレコードメーカーへ足を運ぶ日が続いた。
メーカーには毎日のようにデモテープが送られてくる。直接持って行ったとしても、会うことすらできないことの方が多かった。
ようやく、ひとつのメーカーが作ってもいい、と言ってくれた。
とはいえ、そのメーカーのスタジオを使うのはとうてい無理だった。つまり、レコーディングを終えたマスターテープをくれればプレスしレコード店に置いてあげる。という変則的なものであった。
しかし、彼にとっては大きなチャンスだった。
毎晩、会社が終わると車に乗り込み、2時間かけてスタジオへと向かう。
レコーディング環境は決して良くはない。予算も現在では考えられないほど少なく、もちろん全て彼の持ち出しだ。
それでも、初めて自分のアルバムがメジャーレーベルからリリースされるのだ。
彼にとっては大きな賭けだった。ここからプロの道を歩み始めることができるのか、それとも、このまま終わってしまうのか。
スタジオへ続く道が、彼には夢へと続く道に思えていたに違いない。
このときレコーディングしたのが、「BACK TO THE TIME」。彼のデビューアルバムである。
Quote:DATA BOOK 栄光への軌跡
デビュー
デビューと言っても、レコード会社から「名前を貸してもいい」というスタイルの「ほぼ自主制作CD」でのデビュー。
ご友人に撮影してもらい、会社の積み立てを解約したりして自費でレコーディングされたそうです。
ご友人の結婚式のために作った曲です。
メジャーレーベルの名を借り、インディーズ盤をリリースしたとはいえ、タイアップがあるわけもなかった。シングルもレコード店に数枚しか置かれていない彼の活動は、大きな制限を強いられるものだった。
メーカーの宣伝費もまったくなく、自分が動くしかなかった。 テレビやFMに出演することもできない。訪問すれば一度は流してくれる有線放送を回る日が続いた。ライブイベントは、客席の付いたステージではなく、全てがストリート・ライブだった。それでも、目の前を通り過ぎていく人々に心を込めて歌う。たったひとりでもいい。立ち止まってくれれば…この思いが伝われば…。
平日は仕事、週末はストリート・ライブという二足の草鞋の生活が続く。Quote:過去ツアーパンフレット
初回プレス約2000枚ほど。
会社員を続けられながら週末に色んなところへ歌いに行かれたそうです。
「マスコミ媒体に乗らないから、有線で流してもらうしかなかった」
「曲が良いと、『今の曲は何?』という問い合わせがあるんです。それでリクエストしてもらえるようになった」
有線放送を訪問すると1回は流してくれるから、ということで
大阪発の新結婚式ソングが『乾杯』を超えた
結婚式ソングといえば長渕剛の『乾杯』が定番だったが、今大阪から「新定番」として名乗りを上げてきた歌がある。大阪出身の新人アーティスト山根康広(26)が作詞作曲したスローバラード『Get Along Together』だ。
大阪の結婚式場で最近、一番歌われているというこの曲は、
「2年前、友人の結婚式のため式の前日にあわてて作った」
という作品である。今年1月になってCDリリースされたが、すぐには話題にのぼらなかった。が、そのシンプルな演奏とハイトーンで語られる甘いメロディが、大阪有線の女性モニターたちの耳にとまり、リクエストの合間によく流されるようになる。やがて「曲名は?」の問い合わせの電話が入るようになり、人気もジワジワと上昇。京都営業所で1位となったのを皮切りに全国チャートでも7月の最終週には20位にまで順位を上げてきた。関西ローカルから火がついて全国ヒットになった作品としては、THE虎舞竜の『ロード』が有名だが、この歌『Get Along Together』も同じコースをたどる気配が濃厚だ。カラオケの新譜にもこの7月から登場、カラオケファンにも急速に浸透しつつある。
近々結婚式に出席予定の人は今のうちから練習しておくべし。Quote:週刊誌1993年8月号
最初に彼の曲を聴いたとき、いい曲だなあと思ったんです。そこにちょうどパーティーの招待状が来た。とても気さくな人で人柄にも惹かれたので、他のリクエストが無い時に彼の曲を流してみたんです。30分経てば、同じアーティストでも違う曲なら流していい規則なので、A面(Get Along Together)とB面(Good-bye Love Road)を交互に、1日に6~8回流したかな。徐々にリクエストが増えてきて、難波放送所のチャートでは、最高3位を記録しました。
Quote:過去の音楽雑誌1993年10月号
「Get along together~愛を贈りたいから~」(ニューバージョン)を購入した数日後、
再びCDショップへ行き、アルバム「BACK TO THE TIME」を探しました。
違う写真(車が背景)のアルバムが「1枚だけ」あったんです。
特に「Good-bye Love Road」を聴いたときの脳内の化学変化は忘れられません。
「あっこれね~新しいのが出てて、こっち」
と言われたのですが「いえ、いいんです」と言って買いましたね(笑)。
表紙も飾られましたね。なんともイケメン…
ニューバージョンが6位でオリジナル盤が30位
日本レコード大賞 最優秀新人賞
日本有線大賞 最優秀新人賞
全日本有線放送大賞(大阪)最優秀新人賞
ゴールデン・アロー賞 音楽部門新人賞
日本ゴールドディスク大賞 ニュー・アーティスト賞ベスト5
など、様々な賞を受賞されました。
翌年、紅白歌合戦(2014年)にも出演されました↓
歌詞に出てくる「ヴィーナスブリッジ」「落書き」は
増えすぎたので、撤去することになったそうです。
Reverso(辞書アプリ)で「date spot(デートスポット)」をひくと、 ALWAYSのことが書かれた文が引用されています↓
この29歳のときの「恋という名の翼」までかもしれません。
zeppなんばが会場になることが多いみたいです。もう、このライブとにかく楽しくて!
3時間全然休まず歌い続ける山根さんはとにかくスゴイ!!
「FIRE BALL」2020年度は中止になりましたが、2021年度以降は開催されています。
サウンドプロデュース
他にも楽曲や歌詞のご提供をされているようです。
ラジオ番組
毎回、男性陣からのメッセージが多いです。
※コンサートライブにも、アラフォー以上の男性がびっくりするくらい多いです(毎回男性に囲まれてる感じがする…)。
ちょっとおとぼけで天然なところや、とても謙虚なところは、昔からずっと変わらないですね。
昔から礼儀正しく控え目で、イベント等での登場の時も何度もお辞儀してステージに上がる方なので、
(山根さんのことを知らない人から見たら)スタッフに間違われてしまうのでは…と感じたことがあります😅
私は10年ちょっとファンを離れていましたが、出産後久しぶりに楽曲を聴いて、「こんなにも自分の体に溶け込んでいたんだな」と今感動しています。
(↑この曲は発売日のオリコンデイリーチャートで8位だったそうです)
他のアーティストが断る中、実際に2011年に現場に行って、皆が知ってるミリオンソングを届けた、という山根さんの行動は、当時の被災地の方々にとって、とても大きな励みになったのでは、と思います。
13年ほどのブランクを経て、