15日に主人が子どもたちと主人の実家へお線香をあげに行きました。
私は「後から行くから」と言って…
夕方まで…自宅で数時間、一人の時間をもらいました…
だって、翌日16日は本当は、FIRE BALL 2020があったはず。
こんな状況ではなければ、
翌日…子供たちを主人に託し夕方から難波へ向かっていたはずなんです。
「ROUTE 816 神戸アリーナ 2006」のDVDは
延期になったFIRE BALL 2020の代わりに、
8月16日に観よう、と開封していませんでした。
届いた箱の中にずっと入れていて、楽しみにしていました。
これは山根さんの40歳のバースデーライブ。
とうとう今夏、30代にさよならなので、
山根さんの40歳のバースデーライブか…ちょうどいいや。自分への40歳のバースデープレゼントにしよう、と思っていました。
明日が16日だけど、連休最終日でバタバタしてしまうから、
今日観てしまおう…
せっかく主人がくれた、貴重なおひとり様時間だもの…
ピリリ…とフィルムを開けて…
あぁ、嬉しいな。ようやく観れる(*´ω`*)
実際のステージに行くときのようなワクワク感には遠いけど…
嬉しいな。
OPENING SE
これこれ!一度ラジオで流してくださって、「すごいなー」と思って
公式webサイトでTHE OUT TRACKS 4を購入し、何度も聴きました。
SE…全て凝って作られています。息子が「何で飛行機の音入ってるの?」と聞いてきました…
壮大なオーケストレーション…
映像で、ストリングを始めミュージシャンの皆さんが演奏しているのを見ると
やっぱりすごいな―と思います。
CRIMSON SKY
山根さんが登場され、すごい歓声が…
あぁ…横分けです!
横分けー!!
私の知らない、40代の山根さん…
40歳、おめでとうございます…
私も数日後に追いつきます…
表情がちょっと固め…
それもそうだと思います。
この大きなステージの直前にポリープの手術をされたと以前お話されていました。
全身麻酔…
この日のリハーサルで声を出したのが、術後初めての発声だったとか…
検索してみると…声帯ポリープは声を出す職業の方々にはよくある病気のような印象があります。
通常みなさん数日から数週間入院されるそうですが…
山根さんはご入院されずに完治させたんですね。
あまりご無理なさらないで、休まなきゃいけないときは休んでいただきたいと思っていますが
責任感が強すぎるのか…どうやらそういう流れにはならないような感じです(´;ω;`)
だけど…手術が成功して本当に良かったです。
私は山根さんの楽曲に再会してから
何度も
「この声に再会できて良かった」
「この声はやっぱり落ち着くなぁ」
「癒しの声だなぁ」
と実感しました。
優しい、自分にとって心地よいこの声からは
今までたくさんのものをもらっています…
若い頃は…guts and encouragement
出産後、2018年に再会してからは…healing and comfort
2020年、閉じ込められたステイホーム期間にもらったものは…sanity and strengthでした。
お医者様…
山根さんの声を生かしてくださってありがとうございます。
さよならを言い出せないまま
まだこの頃…40歳になられた頃は…お若い頃の面影が残っているんですね。
半分お兄さん…
だけど髪型が…見慣れていない横分けなので、なんだか不思議な感じがします。
1994年リリースのこの曲…
待望の2ndアルバムの1曲目…
初の全国ツアーRACING THE MOONの1曲目…
お若い頃からライブでもおなじみの曲だから…(私にとって)見慣れない髪型で歌われているのは不思議な感覚というか、新鮮な感覚でした。
ちらりと見える、お兄さんの表情。だけど、あっやっぱりシブくなられたな。
40歳って…女性ではオバサンですが
かっこいい男性にとってはオニイサマとオジサマのちょうど間くらいかなと思います。
ディーン・フ〇オカさんは私と同い年で今夏40歳ですが、どうにもこのカッコいい俳優さんをまだオジサンと呼ぶには早いかなという気がします。でもオニイサンでもないしな。微妙。
そんな感じです。
若くはないんだけど、まだおじさんとは呼びたくない。だって40歳の山根さんやっぱりカッコいいんですもの(*´ω`*)
(50代の、オジサマになられた山根さんはシブかっこいいです(/ω\))
「Get Along Together」
に続いてパフォームされたのは
夏の日の中
アコースティックスタイルで…
アリーナステージって…すごく客席と近い!
すごいな―。いいなぁ。
この名曲は…シングルでもないのですが
根強いファンがたくさんいるような感じです。
とてもしっとりとしていて…
情景が浮かぶ素敵な歌詞…
他の女性アーティストさんもカヴァーされたようです。
もちろん私も、とてもとても大好きです。
関西に来て4年目…就職活動中に偶然出会った、国道26号線。
2002年夏…就職活動氷河期…
なかなか内定が取れず、南大阪まで就活範囲を広めて、偶然出会いました。
山根さんの大ファンであったにも関わらず、私は歌詞の中に出てくる場所にわざわざ行くことは不思議とありませんでした。(わざわざ行ったのはヴィーナスブリッジだけですね)
ナイトスクールの学費のため、バイトが忙しかったこともありますが…
やっぱり偶然出会うことが好きでした。
デート中に偶然見つける「伊丹空港」「阪神高速湾岸線」など…
あ、こ…これ!と言いながら彼氏の手を引っ張って…
黒に戻した髪で、黒い就活スーツを着て、履歴書を入れた黒いカバンを抱え、
国道26号線を見つけました…
その時何を思ったのか…はっきり覚えていません。
ただ、すごく嬉しかった思いがあります。
その頃…就職活動をしていても、まだ夢を忘れたわけではありませんでした。
「残業がひどい会社は避けたい」
「まだあきらめていない」
「時間さえあれば就職しても何とかなる」
ギリギリまでそういう想いはありました。
4回生の夏になっても、就職先がなかなか決まりませんでした。
当時のナイトスクールの恩師の自宅に行き、「ブラック企業から内定が出た際、残業の多さをどう見極めるか」と相談したことを思い出します(家まで押しかけてご迷惑だっただろうなぁ…S先生、ごめんなさい)。
大学時代に通っていたナイトスクールでは、受講生は会社員の方ばかりで、学生は私一人でした。
1回生のころからバイト代を貯め、いよいよ入講。
ハタチの女子大生が入ってきた!
と当時、恩師たちも先輩方も、学生の私を随分気にかけてくださっていました。
未だにその先輩方とは仲が良く、出産後ここ数年、あまり出席できなくなったけど、年に数回は皆で集まって同窓会のようなものをしています。
恩師も、私が34歳の時に結婚式に出席してくれました。
田舎から出てきたにもかかわらず…私には…大学とは別に、居場所がありました。
それは…高校時代に将来を真剣に考えることができたから…
中学の時に夢を得たから…
13歳の私に夢をくれたのは…山根さんです。
心から感謝しています。
夏つながりの「太陽光線」を弾き語りでパフォーム…
やっぱりピアノを弾かれるとカッコよさが増すなぁ(/ω\)
LET ME GO NOW
10枚目のシングルですね。
この曲のリリースは1998年11月。
私の受験生時代、もっとも勉強がつらい時期にリリースされた曲です。
私は実家が裕福ではなかったため、予備校に行きませんでした(行きたいと言い出せなかった)。
自習室を月に数千円で借りられたので、お小遣いを参考書と自習室にあてていましたね。
自習室からの帰りに、CDショップで買ったこのCD。
もう、センター試験まで2か月を切っていた頃です…
田舎を出るのだ…
浪人はしない…早くここから出たい…
大きな未来を描いていました。
歌詞の中に
二人でよく聴いたDesperado
とあります。
当時はインターネットも一般家庭になく、「Desperado」が何なのか誰の曲なのか、分かりませんでした。
しかし…センター試験を間近に迎えた年末頃に、私大対策をしていなかったため東進衛星予備校で、お小遣いの範疇で2講座だけ受けたんですよね。
ド田舎でしたが、ちょうどその年にこのビデオ受講ができる予備校ができました。
「関関同立の英語」…という講義ビデオ。その中で、講師が「Desperado」という単語の説明を始めました。
「イーグルスというアメリカのバンドの曲に、Desperadoというのがあるんだけど…」
えっそうなんだ!イーグルス!へぇ。
そんな感じでした。
春になり大学に入学して、Kちゃんという…女の子にしては洋楽好きな子と友達になりました。
Kちゃんは、一緒にアメリカンダイナーに晩御飯に行くとかならず500円をジュークボックスに入れ、洋楽をかけていました。
そのKちゃんとレンタルCDショップに行き、
「Kちゃん、イーグルスって知っとる?私Desperadoっていう曲を聴きたいんやけど」
「しぶいなー。あ、これやわ」
と言いながら借りました。
そのCDはベスト盤だったのか?「Hotel California」も入っていて…
これか!Desperado!でも私は洋楽がチンプンカンプン。
どこかで聴いたことはあるような気がする曲…
けれど当時は英語がまったくしゃべれないし、
和訳を見ても心に入ってこないし…
でもKちゃんは大好きなブリトニー・スピアーズでノリノリなんです。
その年の秋には…アメリカンダイナーに行く度にKちゃんは
Backstreet Boysの「I Want It That Way」をかけて「Tell me why!」と歌っていました。
それを聴く度に「Backstreet Boys?私は山根さんの「on the BACK STREET」やわー」
と心の中で思い、自宅に帰ってから「on the BACK STREET」アルバムを聴いていました。
↑結局私は「on the BACK STREET」アルバムが大好きという話に帰結。
ALWAYS ALWAYSⅡ
さすが神戸!名曲が…2連発でパフォームされたんですね。
ところどころ…歌詞が当日用に書き換えらえれていて…
本当に素敵です。
「ALWAYS」が終わった時点で、心がとても温かいのに
まさか「ALWAYSⅡ」が続くなんて…
神戸ワールド記念ホール…
この会場に、1995年に阪神大震災で被災された方も多くいらしたのではないでしょうか?
東灘区にいながらも、奇跡的に無傷だったうちの夫や義理姉…
それとは対照に、大切な方や思い出の品や…多くを失った方もいらしたと思います。
そういう心を癒せるもの…そのひとつは…、音楽だと思います。
武道館公演のときのような観客のサイリウムが再び…よみがえってる…
会場が一体になるこの感動…!
とてもとても素晴らしくて…
こんなことは2020年、不可能になりました。
この状態はいつまで続くの…?
終わりの見えないパンデミック。ただただ辛くて…
ここで、本来なら感動の涙を流す場所なのに
「ALWAYSⅡ」を観ながら
私は辛い涙を流していました。
感動を与えてくれるアーティスト
感動を受け取るオーディエンス
皆が一体になるステージは、
とてもとても素晴らしいものなのに
いつまでそれは実現できないの…?
それがただただ辛くて、
この素晴らしいステージを観ながら
私は悲しくて泣いていました。
「この愛をかけて」
の次に
観覧車
この曲も大好きで大好きで…
食事を作っているときにいきなり私が「追っいー かけてもぉぉ」と歌い出して驚いた夫がビクッとなったこともありました。
夫は…正直驚いたようです。
出産後、子供の世話に追われた私は
「たまには1人の時間が欲しい」
「今度の週末は駅前のカフェで読書をさせてほしい」
そんなことばかり言っていました。
しかし
2018年夏から、今まで黙々と料理をしていた妻が料理中にいきなり邦楽を歌い出した!
2019年夏に「ちょっとガーデンズに行かせてほしい」と言って、帰宅してからは「これからたまにライブ行かせてほしい」と言い出した!
時折…イヤホンを耳にいれて泣いている…!
特に金曜の晩!
嫁に何が起こったんや…
話を聴いてみれば…若い頃にcrushだったアーティストを思い出したそうやないか。
ファンクラブ入会!?えっ実は再入会!?
俺は(震災後北米でしばらく過ごしたので)この人のことはよう知らん。
でもそんなに好きやったんなら、ライブ行けばいいやないか。
子供はみとくから。
そんな夫の協力のもと、
「ゴルフが入らない週末は…子供が熱が出てなかったら…ライブに行ける…」
そして山根さんに会いにいける生活が2019年7月、再開されました。
とてもとても嬉しくて…
「観覧車」は、大学に入学して初めてリリースされた曲(1999年6月)でした。
受験を終え、山根さんに会いにいける生活が1999年春、再開されたのです。
希望に満ち溢れた頃…
人生初めての彼氏に「このアーティスト大好きなの!」と言って梅田のタワーレコードに一緒に買いに行ったCD…観覧車…
思い出が…詰まりすぎています。
↑結局私は「on the BACK STREET」アルバムが大好きという話に帰結。
少年
…いつも変わらない、パワフルなパフォーマンス!
これがないと帰れない…!そんな人もいるはず。
私は…初聴でこの曲に、ひと聴き惚れでした…
もうご年齢的に、バック転はやめていらっしゃるそうだけど
この「少年」は
(パフォーマンスがやや激しいので年齢をご考慮されながらも)同じようなスタイルで続けてほしいな…
ライブでは、毎回パフォームしてほしい…
そう思える曲です。
いつの間にか、私たち…
「少年」リリース当時を知るファンは
年を取り、中年になってしまいました。
だけれど
私たちにも若い頃はあって
「少年」の想いを…夢を持っていたんです。
それを思い出すことができる曲ですね…
Yellを君に
この時のMCは本当に、感情のまま、しゃべられているのかな、という感じでした。
もともと震災に関連して作った曲ではないけれど、
結果的に…とてもとても…
多くの方を励まし、元気づけてくれました…
オーケストラバージョンですね。
とってもカッコいい…とっても素敵です…
私がいちばん大好きなのは…すりきれるほど聴いたDESTINYバージョンだけど…
名曲はこうやって、素敵なアレンジで表情を変えるんだな…と感じます。
きっとこれからも
ずっと私たちを支えてくれる曲だろうな、と思います。
「夜間飛行」で第一部は終わり。
アンコール1曲目は
MADE IN “J”
ちょっと…黒いジャケットじゃないですか…
カッコよさが増す…
やっぱり山根さんはカッコいい…
カッコいい…(/ω\)
カッコいい…(/ω\)
カッコいい…(/ω\)
(↑これしか出てこない)
REACH FOR THE STAR
ROUTE 816 武道館公演1996のために書いた曲…?
10年後のROUTE 816 でも、こうやって素敵にパフォームされたんですね。
もう…赤い照明が最高に…ムードを盛り上げていて…
この重厚なサウンド…大好きなんです…
もう、画面越しに伝わってくるのですが…
会場の盛り上がりは最高潮なんです!!
さすが…ロッカ―Y2…
「もう一発かますぞー!」と
「Everyone」につながった!!!
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(≧▽≦)
オーディエンスの歓声もすごい…!
男性の声も聞こえます。この曲は…絶対にライブでは外せなくて…
「ステージとは…いつも…自分らしくいられる、そんな場所です。
デビューから皆を前に歌ってきて、そしてみんなから逆にエネルギーをもらって
曲を書いて…ステージに立って…その繰り返しで…今日までやってきました。」
(抜粋)
そんなMCの後
「STAGE」が始まりました。
その後…
「今夜のラストソングとなりました。
最後にみんなと一緒に歌を通して一つになりたいな。
大きな大きな夢を みんなと一緒に叶えたいな。
そう思って書いた曲です。」
(抜粋)
そして始まったラストソング
八月の詩
終わってしまった…
ヤスくんも泣いてる…
ラストソングを聴きながら…
エンドロールを観ながら…
私はまたウゥッウゥッと泣いていました。
空けたチューハイは4缶…
※性格が地味で大人しい私は、テンションを上げる際にアルコールを利用します。
このDVDを観ていて…辛かったです。
ステージは…とてもとても素敵なんです。
素晴らしいパフォーマーである、ミュージシャンY2。
そのパフォームに魅せられるオーディエンス。
会場は一体になり、画面越しにも盛り上がりが伝わってきました。
素敵なステージだからこそ…
このようなステージが今、開催できないことが…
とてもとても悲しくて…
山根さんが本領を発揮できず
抱えているスタッフさんのことなども守っていかなければならず
苦悩の中、毎日を過ごされていることを想うと
いたたまれなくなってしまい
涙を拭いたティッシュが机の上に山のようになっていました。
主人からの電話
「けーへんの?」
えっ…あっ!!!
まずい!!!
夕方、お義父さんにお線香をあげに行くはずが…
神戸アリーナ2006のステージが素晴らしくて…
それが余計に余計に辛くて…
酔いがまわってしまい
どうやら泣きながら眠ってしまったようです。
お義父さん、ごめんなさい…
私…なんという嫁や…
(その後、お線香あげに行きました…)
このステージ…
2006年…
私がファンを離れて少しした頃です。
私、何してた?26歳のこの頃…
そうだ外資系企業を辞めて…
IT企業で働いていた頃。
大阪市内のマンションに住んでいて、都会を満喫していた頃です。
当時、勝間〇代さんの働きぶりが話題になっていて
世間にはカツマーと呼ばれる若い女性が増えました。
マッキンゼーでの仕事の進め方を記した「新・知的生産術」といった類の彼女の本を読んで
Googleの各機能を使いこなし、通勤時間も無駄にせず自転車で走りながらオーディオブックでビジネス書を読む…私もそんなカツマーの一人でした。
2006年当時の私のiPodの中身には、心を癒す音楽よりも
そういった「できるビジネスマン」的なオーディオブックばかりが増えていったような気がします。
いつ頃山根さんの曲を聴かなくなったのかは、はっきりとは覚えていません。
2004年4月にリリースされた「HEAVEN & EARTH」を購入した時に
「ん?曲の感じがちょっと変わった…?」と感じたことは覚えています。
当時のiPodの電源を昨年入れてみると、このアルバムだけは全曲を入れておらず
「HEART」「BORDER LINE」の2曲だけでした。
そして2005年8月リリースのシングル「SINCERELY」からは手元にありません。
なので…おそらくこの頃です。
この頃…大阪市内に引っ越し、当時のボーイフレンドと過ごす時間が増えましたが
今思い出しても、このボーイフレンドとはケンカが絶えませんでした。
大阪市内への引っ越し自体も、彼からの強い要求によるものでした。
学生時代から住み慣れた町には、卒業してもまだ学生アパートに住んでいる友人もおり、
全く離れたくなかったのに、NOと言い続けられず、結局大阪市へ引っ越してしまいました。
人間関係がとても良く、刺激的だったあの外資系企業…
アメリカ資本、ボスはオーストラリア人、上司のひとりはイギリス人、本社の東京からくる人達はなんか動物園のようで、不思議だけど愉快な空間でした。
でも帰りがいつも遅くて、休日出勤も多く「そんな会社辞めろ」と何度も何度もケンカになり、
NOと言い続けられず、結局辞めてしまいました。
休日に友人とイケメン俳優の映画を観に行ったら「俺がブサイクやのになんでそんなことするねん」と怒られ…
これは見られたらまずい、とiTunesから山根さんの曲を削除し、CDやツアーパンフを隠し、MOTHERの更新を辞めました。
隠れキリシタンのようにふるまうのがしんどくなり
「友達に会いに行く」と言ってイベントやライブに行くことも
やめました。
卒業し、就職し、名刺を作ってもらい
職種の肩書が入りました。
何もできない新卒なのに、職種の肩書がついたのです。
「はやく一人前にならなければ」
残業続きの毎日。いつしか夢を追うことは無理だと悟りました。
彼氏とはケンカばかり…
この人とこのまま付き合って結婚していいの…?
心の中では常にそう思っていて、とても…心がすさんでいたような気がします。
そんな頃、「HEAVEN & EARTH」がリリースされ
「山根さん、曲の感じが変わった?」
と思いました。
しかし今考えれば…変わってしまっていたのは当時の自分でした。
だけれど…
その後、現主人と付き合いだすと、周りに「肩の荷が降りてる!」「憑き物が取れてる!」と言われるほどでした。それほど私は明るくなったようです。
そして結婚、出産…
この人と結婚して良かったと思える人と暮らし、
毎日子供たちに毎日愛情を与える中、
2018年に山根さんの楽曲に再会すると
「HEAVEN & EARTH」への感じ方がガラッと変わりました。
リリース当時「キー高い曲やな」という印象しかなかった「この愛をかけて」…
今はとってもお気に入りの曲で、いくつかのプレイリスト(仕事用、ドライブ用など)には必ず入れています。
ライブ「STARTING OVER 2014」内で「この愛をかけて」を観て…
女性ファンの歓声…
男性ファンがやっているの?ピューッという指笛…
優しくはにかみながら歌われる山根さんの笑顔…
「あぁ素敵な曲だなぁ」と…当時とはまったく違う想いで聴いています。
2018年夏、FIRE BALL 2018の電車内広告を見て、
山根さんの楽曲を再び聴き始めました。
これらの楽曲は私の学生時代を保存してくれていたんだ…!と感動したあの日…
それからラジオ番組STARTING OVER Y2 MEETS ROCKを毎週聴くようになり
読み上げられるリスナーさんのメッセージに、昔抱いていた山根さんへの自分の想いを重ねて聴き、どんどん昔のようにファンになっていきました。
娘の病室でウォークマンから流れてきた「Yellを君に」…
「私は25年経ってもこの曲に助けられている」と涙を流しました。
パンデミックの中、ラジオから流れてきた「THE ANTHEM」…
ベッドで子供たちを抱きしめ、涙の止まらない夜を過ごしました。
DVDと一緒に送られてきたCDには洋楽のカヴァーが入っており
私よりも上手な英語の発音で歌われる「WE ARE THE WORLD」…
困ったことに会いたさがつのってしまいました。
しかし
未だに電車恐怖症。
MOTHERからの案内を見て、ため息をついては封筒内に戻す私を見て
「今の時間は電車すいてるから、2駅くらい乗ってきたら?」
と主人はリハビリを促します。
だけど…やっぱりまだ外に遊びに行く気持ちにはなれません。
素敵な楽曲たちに再会できたことは、私にはとても嬉しい出来事でした。
若い頃…ステージからもらったたくさんの励まし…
風に吹かれながら夢見て
自由の彼方に描きかけの地図を空に浮かべて
二度と来ないこの一瞬が何より大切だから
路地裏の壁に書いたあの夢を忘れないで
大いなる夢を抱いて信じるままに走り続けよう
知らないうちにリリースされていた9枚目のアルバム以降でも…
HERO あの日の君は夢をこの手で
必ず必ず夢はついてくる
もう少しだから離れないように強く強くこの手を握っていて
お変わりないスタンス…
前向きな歌詞…
ずっと、ずっとお変わりないんだ!
と、再会して
とてもとても私は、嬉しかったんです。
若い頃の自分をあんなにも支えてくれていた…
家庭を持った自分の思い出も…これから刻まれて行くんだろう…
次にライブに行けるのはいつだろう?ああ、楽しみだな!
そんな日々の楽しみが増えたその翌年に、
このパンデミックです。
816神戸アリーナ2006を観終え…
虚無感?
あー
ロスになってしまったようです。
実際、FIRE BALL 2019の後も少しロス状態でした。
終わってしまった…
とても良かった…
と、数日間ウルウルしていました。
だけど昨年はこの時すでに9月のGIG(FC限定ライブ)に申し込んでいたので
あぁ早くその日が来ないかな~という楽しみがありました。
今はありません。
ため息
考えれば考えるほど辛くなります。
それくらい、私にとって
想い出の曲に再会できたこと、再び山根さんのステージを楽しめることが嬉しかったんです。
経験上、何かのロスに陥った場合は、時間が癒してくれるのを待つのがいい。
神戸アリーナのDVDを見た後、辛い気持ちを抑えながら
8月末までギッチギチに勉強スケジュールを組みました。
タブレットを10インチに新調し
昔使っていた参考書を再度購入し
スケジュールプランナーアプリでノルマを振り分け
仕事の合間に発生するスキマ時間で1日の学習ノルマをどうにかこなす。
Whatever.
I am such a swot after all.(`〆´)
大好きな声を聴くと切なくなるから、
山根さんの楽曲を聴くのはやめて、日中はBBCのニュースを聞いていました。
そして
STARTING OVER Y2 MEETS ROCK
8月最後の放送(8/28)
「なので皆さん、この俺についてきてくださいね」
なんか、その一言を聞いて安心したのか…
ふっと
ロスから明けたような気持ちになれました。
そしてその日、久しぶりに、イヤホンを耳に入れて横になりました。
「あーほんとだ…Here comes the brand-new dayって歌ってはる…」
ラジオに送られたリスナーさんからの質問。
OneMomentのコーラスのここの部分、私は今まで意識していませんでした…
その日はアルバムOneMomentを通しで聴いて、寝ました。
この週末から、またいつも通り…
山根さんの曲を聴く生活に戻りました。
もう8月も終わりなんだな…勉強は中断して久しぶりにブログ書こうかな…
週末の息子のスイミングの時間、
観覧席は自粛くださいと言われてからは
レッスンが終わるまでの待ち時間に周辺をウォーキングしていたのですが
さすがに「熱中症になるからやめてくれ」と主人に言われ
この週末、2月以降で初めての外食をしました。
スターバックスのテラス席でアイスティー飲んだだけなのですが
外出外食恐怖症の私にとっては、大きな前進です。
そう…
来年の春にはリベンジFIRE BALLがあるはずだから
リハビリをしておかないとね。