FIRE BALL 819バースデーライブ 2023.08.19

今年も無事に来れました。゚(PД`q*)゚。

 

どうしても行きたい。

お願い、

嬢ちゃんこの日だけは熱出さないで

 

 

今年1月21日の
30周年デビュー記念日ライブは
娘の当日の発熱で急に行けなくなってしまったので😭

 

FIRE BALLもそうはなりたくない。
何が何でも行くぞ!✊✊✊
と祈っていました。

 

 

前日の晩に「ご飯いらない。眠たい。もう寝る」
と夕方に寝だした娘。

 

 

ヤバイ!😱
RSウイルス流行ってるし、
今週の夏期預かり保育でも咳が出てた子がいるから熱出るかも?
(そういう子が登園できることが、2019年に戻ったようで個人的に嬉しいです)

 
焦って
「今日はシャワーせんでいいからもう寝よう!」
と早めに寝かせつけましたヾ(゚д゚; )

 

 
子供は風邪をひいて強くなります。
うつす、うつされるは当たり前。
それが許されなかったここ数年。
子どもたちは何度となく自宅で多くの時間を過ごしました。

 

 

 

結局、娘は夜中も発熱なく…
朝も普通に過ごせたので、ライブ参戦できることになりました😄

 

 

嬢ちゃん、ありがとう。

随分強くなってくれて、

ママにお出かけの時間をありがとう

 

 

 

 

 

 




 
初めてFIRE BALLに来た2019年は
1階席の後ろの方でした。

 

 
前の席は男性(40代のご夫婦でご参加)
横の席も男性(30代後半くらいの方がお1人でご参加)
で、見えにくいし横に寄りにくいしでしたね

 
私は少し背が低いので、カメのように首を伸ばしても
Y2の「顔より下」が見えない状態でした。

 

 

 

昨年、2022年は2階席でした。
2階席は段になっているので、
ステージは少し遠いけど
見晴らしの良さに感激しました😆
 

 

 

今回、
月曜に届いたチケットを見て…

 
「1階席だ!」

 

 

 
ZEPPのwebサイトで座席を確認…

 

 

「1階席後ろ…」

 

 

 

 

 

 
そして当日…
席について
 

 

デジャブ…
前の席は男性(50代くらいのご夫婦でご参加)
横の席も男性(50代くらいのご夫婦でご参加)
でしたが
 

 

 
運よくバッチリ見える😆

 

 

嬉しいなあ…

 

チューハイをオヤジのようにグッと飲み干し
(もうオッサンとして生きていこうか)

開演を待ちます。

 

 

入口の近くから撮影
 
 
 

 

 

 

見渡すと、
男性、多い!

 

 

私は前も横も男性。
 
少し前の方の、センター辺りには
グループは違うみたいだけれど5人の男性が横並びで座っていました。
男性観客さんたちの存在をたくさん感じられて
とても嬉しかったです☺️

 

 

 

 

 

今年の1曲目は何だろう…

 

 

 

 

今年も予想していました。
30周年です。懐かしいナンバーで来るかな…

 

 

 

 

1曲目ダービー🐴

 

「さよならを言い出せないまま」
「LOVER」
「be-ALIVE」

この辺じゃないかな!😄

 

 

 

 

 

 

 

 

Bruce SpringsteenのBGMが小さくなり
照明が暗くなりました。

 

 

 

 
は、始まる…( ´)

 

 

 

 

 

今年も心を躍らせるSE…

 
こういうのを聴く度に
「我らのY2は天才だ」
と感じざるを得ません。
(このSE、またラジオで流してくれますように😭)

 

 

 

 

 

 

ライティングが今年もすごい…

 

キラキラと輝き、
右へ左へと旋回するスポットライト

 

心躍らせるSEが流れる中、
きらめくステージに全集中の呼吸。

 

 

 

そして
ふっと舞台に明るい照明が届くと
ステージ上のY2の「シルエット」が映し出されました。

 

 

 

 
そこに、いてはる!

 

 

 

 

↓この瞬間のことです。

 

 

 

あの一瞬を撮ったの?
クマ〇さんすごい!

 

 

 

 

 
照明効果によってふっと現れる
Y2の「シルエット」を目にするたびに
早く会いたい、という気持ちが焦ります。

 

 

 

 

 

魅せるオープニングは
お若い頃の
RACING the MOONライブの頃から変わりませんね。

 

 

 

初めてY2のライブを経験した
RACING the MOON「Born in 66」ライブ(1995)

 

 

ドキドキしながら「憧れのお兄さん」
の登場を待ったあの日…

 

 
歳を重ねた今も、
あの頃と変わらずワクワクします。

 

 

 

 

 
 
 
1曲目何だろう…

 

 

あれかな…

 
あれかな…

 

 

 

ボワッボワッ

 
と炎が上がる瞬間、
少し熱気をほんのり感じます。
1階席の後ろの方だったのですが
席が通路側だったので、空気の流れを感じることが出来たようです。
(昨年の2階席では、炎の熱気は全く感じませんでした)

 

 

 

ん? 一旦SE終わった?(一瞬の間が!)

 

 

 

 
そして続くこのイントロは…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

TELL MEだ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

TELL ME

予想は今年も全部外れ!😆
まさかこの曲?!😆😆😆
王道が来ると思っていたのです

 

 

 

 

 

 

そして
幕が開いたステージに居るのは

 

 

 

ちょっと!
Y2が
白シャツ
じゃないですか。

 

 

 

 

 

 
私は昔(中高生の頃)…
シャツ姿のY2に萌えていました…
お若い頃のY2、非常に端正なお顔立ちだったので、
そこにカチッとした爽やかさがプラスされて…

 

 

お気に入りシャツphoto① OneMoment

Quote: TOUR PAMPFLET ‘OneMoment’

 

 

Σ>ー(〃°ω°〃)❤

 

 

 
最近の普段のライブはいつもTシャツなので、
あの頃を思い出し、
懐かしい感じ…😭
 

 

 

 

照明が色とりどりにステージを照らし
今も変わらず素敵なお兄さんが歌っている

 

 

 

 

この曲の特徴は…
 
渋くてちょっとダークなイメージ
7thアルバムSTARS.に収録されている
大人のロックナンバーです

 

 

 

ミドルエイジになったY2が
大人の男の貫禄で、渋く歌い上げる「TELL ME」

 

 

 

嬉しい😭
本当に来れて良かった😆😆

 

 

 

 

 

 

 

LOVE GUN

続いたのはこの曲!

 

夕暮れの街…
群衆の波…

 

 

イントロに入れられているのは
「残響」のリバーブ効果。
耳に残る印象的なライブアレンジに、
「この曲来た!」の期待が高まります

 

 

 

ズキューン!!

 

のGun shots soundに心躍ります😆

 

 

普段、ライブ中盤から出てくることの多いこの曲は
めちゃくちゃ盛り上がる鉄板ナンバー。
まさかの2曲目に出てきて、会場の温度がさらに上がった感じです😆

 

 

この曲はY2との「コール&レスポンス」があります。
会場の皆さん…今日もとってもノリノリで
我々の声はきっとY2へ存分に届いたでしょう😄

 

 

Hey, LOVE GUN
Oh, LOVE GUN

 

 

会場は皆、Gun to the sky!👆

 

大盛り上がりです!😆😆😆

 

 

 

 

 

She’s my Lady

えーっ! この曲に続く!😆
ものすごい照明と、心躍るイントロ!

 
もうこの曲はスピード感が素敵ですから!
LOVE GUNで温まった我々の心をさらに走らせます😆

Quote: TOUR PAMPHLET ‘Run to Run’

 

Oh Lady

 
で、力強く拳を振り上げるY2
お若い頃から変わっていませんね。

 

 

 

疾走感のあるサウンド、
ステージを鮮明に照らす鮮やかなライト、
そしてあの頃と変わらない、「力強い男Y2」に
目を奪われます。

 

 

 

 

この、楽曲全体に現れている力の源というのは、いったいどういったものだったのでしょう?

「たくさんのライブで得てきた感覚みたいなのっていうのかな?」そういうのが自分の中にかなり強く残ってたんですよ。それで、「Everyone」もライブで一緒に歌える曲なんだけど、この「She’s my Lady」だったら、もっとみんなで盛りあがれるんじゃないかなっていう気持ちを持ちながら作ってました。」

 

曲作り段階の、曲想の段階でビジョンが明確にあったわけですね。

「より分かりやすくて伝わりやすいサウンドで、広大な拡がる感じのイメージとスピード感を持った楽曲を作ろうっていうのがポイントになってたんですよ。」
Quote: GB 1996

 

 

Quote: GB 1996

 

 

約1年ぶりの新曲ですけど、アップテンポなナンバーですね。

「元々そっちのほうが好きなんです。例えばライブでバラードを歌うと聴く方も入って来るじゃないですか。バラードを歌ってほしいというのもあるみたいなんで、そういう部分で自分の中で駆け引きがあったりしていたんです。でも去年くらいからは自分のしたいことを素直にやるのが一番いいんじゃないかなと思って。」

 

ところで、今年は30歳のお誕生日に、日本武道館でのコンサートが決定したそうですね。

「30歳の区切りとして誕生日に何かしよう、とみんな言ってくれたんで、やってみようということになりました。イベントではやったことあるんですけど、自分のコンサートをやるのは初めてです。やっぱり武道館は夢だったというのもあるし、すごく嬉しいですよね。誕生日というのもすごくやりがいがあるんで、普通のツアーとはまた違う意味でいろいろ思い出のある曲とかをやってみようかなと思ってます。」
Quote: 音楽雑誌 1996

 

 

 

私は

世界中を敵にまわしても

のところでY2が大きく手を拡げてくれるのが
高校時代、大好きでした。

 
↑の武道館の映像の中にもあるけど、懐かしい😊
男らしくてカッコいい~😍😍😍😍
と当時はホウッとなっていましたね

 

 

 

 

この日も拡げて歌うY2
渋っ!😆😆😆
渋カッコいいっ!😆😆😆
大人の男性の渋さが!!!!!

 

 

Quote: GB 1996

 

Quote: GB 1996

 

 

 

 

2 LOVE AGAIN

先月のLAST GIGでもパフォームされました。
久しぶりに聴けたな~と思っていたのですが
この日も聴けました😊

 

観客の反応が良かったのかな?

 

 

 

 

 

会場の雰囲気が落ち着いて、
みんな聴き入るようにY2を見つめていました。

 

この曲、中盤から盛り上がりますよね。
たくさんのスポットライトが、
聴き入る我々の心を奮い起こすようにY2を照らします。

 

 

1人の女性を想う気持ちを
美しいメロディーに乗せて歌い上げるY2

 

 

リリースから随分と年月が経ちましたが
今はその渋さで
大人の男性の雰囲気が満ちた曲としてパフォームされますね。

 

「『2 LOVE AGAIN』は1対1の男女のラブソングです。久々のシングルなので、ファンのみなさんに伝わりやすいテーマを選びました。
ミディアムスローな曲調で、途中からアグレッシブな展開をするんです」

 

TV東京系『わいん好き』のエンディングテーマで流れていますね。

「曲は体験をもとに、というのが多いですね。歌詞を大事にしたい。僕にとって曲作りの原点はやっぱりラブソングなんです。
ただ、ラブソングに限らず『Yellを君に』のように、みんなへ捧げる応援歌にもたくさん支持があります。ファンが育ててくれた曲ですよね。
ライブも、これまで女性中心だったのが、男性ファンも増えてきたんです。男の人は曲の中にすごく入って来る。『生き方が好きです』と言ってくれる方もいます。嬉しいですよね。」
  

美しいバラード。胸がギュッとなる歌詞で、山根さんのラブソングはやっぱり秀逸だけど、そのバラエティーに富んだ音楽性は深くて尽きない。今回のニューシングル『2 LOVE AGAIN』はファンも待望の剛速球だ。 
Quote: 音楽雑誌 1998

 

 

 

会場を後ろの方から見渡し
改めて男性観客の多さに気づきます。
  
 
ラジオ番組では洋楽のご紹介をされているから
そこからY2の曲を聴くようになった方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

 

「みんなにわかって、つながりやすいっていうのもあって、このニューシングルにしたんですけど、男と女の1対1のラブソングです。」

そう、ほとんどの人がイメージする山根康広のイメージは、バラード。『2 LOVE AGAIN』は、そのイメージの山根康広を前よりも豊かに伝えてくれる。愛おしさや切なさや、何よりも大切にしたいとか、大切にされたいという気持ち、そんな心のひだを優しくなでてくれる。

「歌って言葉そのものよりもスーッと心に入って来るでしょう?だから…(詞を)大事にしています。」
  

甘いマスクでそんなふうに、やさしく大切にしているものを語られると参ってしまうよなぁ…。根強いファンが多いのも当たり前という感じ。
山根康広の「心のひだを潤す歌」にもっとどっぷりと浸かりたい。 

Quote: 音楽雑誌 1998

 

 

THE ANTHEM

 

BABY!

この曲も大好きです☺️

 

 

1999年、初めて聴いたときに浮かんだのは、
落ち着いたBARでの1シーン。
 

 

 

Y2の描く歌詞の世界は
ひとつひとつが物語のよう
いつもドラマティックな場景に溢れていて
若かったの私の心を潤してくれました。

 

 

この曲のイメージのとおり
落ち着いた照明がステージを照らします。
 

 

艶っぽいスポットライトのもと
語るように歌うY2は
ミドルエイジの男性の雰囲気で
会場全体をこの物語に導いていくようです。

 

 

 

ねえ 今夜飲まないか?先約なければ

 

 

飲みます( ´)

 

そんなことを素敵な大人の男性に言われたら
ついて行ってしまうよね(笑)

 

 

 

リリースされたのは24年前…
『観覧車(東京バージョン)』のカップリング曲でした。

 

↑お気に入りシャツphoto② 観覧車

 

 

32・3歳のイケメンY2が歌うBABY!
57歳のイケオジY2が歌うBABY!
  

 
どちらも素敵です☺️

 

 

 

 

 

 

 

ここでMCだったかな?

 
※ライブの翌日からバタバタと外出が多く、
このライブレポートを書き始めたのが遅かったので
曲の順番も含め、かなり記憶があやふやな中まとめています😅
あの日、帰りの電車内でメモったものを見ながら書いているのですが…。

 

 

「30年前…みなさんも若かったですよね(笑)
…あの…俺も当時若かったので、俺が登場すると…
……『キャーッ』……っていう歓声があがりましてね…。
それがものすごくて曲の演奏が聴こえなかったですね、いまどこ?みたいな。
 
 
時というのは残酷なもので…今は影も形も…面影さえもなくなってしまいました…」

 

 

 

 

自虐ネタ😂

 

懐かしいですね…。
当時の人気は、昔のY2を知らないファンの方にはピンとこないかもしれません。
 
でも事実です。控えめに言われてたくらいかと…
 

 
過去のライブ映像にあの頃の歓声は入っていますが、
やはり直に会場で体験した身としては
「すごかった」
の一言に尽きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうですね…あれは…
1994年、「Yellを君に」でミュージックステーションにご出演されたときのこと。

 
 
タモリさん「じゃあ次は山根康広くんです」

ー悲鳴のような歓声ー

タモリさん「大丈夫?なんか誰か死んでるような悲鳴みたいな声だけど」
Y2「そ…そうですね😅」

 

 

そんな感じのやりとりがありましたね🤣

 

 

 

 

 

初めて参加したライブ、1995年の「Born in 66」では
私は2000人のホールの7列目でした。

 
Loverのイントロとともに登場したY2を見て
キィィヤァァァ
と耳をつんざく黄色い歓声。
隣席のお姉さん大丈夫だったかな。

 

 

 

 
私は…
歓声が出せるほどの余裕なんて
ありませんでした。

 

固まりました。

 

 

 

人生で初めての「コンサート」というもの。
それも、
初めて好きになったアーティストのコンサートです。

 

 

前年度の全国ツアーは
運悪く塾の日と重なってしまい
真面目な私は泣く泣くあきらめました。

 

 

ずっとライブに来たかった。

「次にまた田舎に来てくれるなら、絶対に行く。」
と1994年、心に決め
翌年、「Born in 66」で初参戦できました。

 

Quote: GB 1996

 

 

 

 

 
ずっと会いたかった、憧れのお兄さん。

 
 
 

ド田舎で育った、地味な私は
夜遊びなどしたことがなかったので
(遊ぶ場所もないし)、
Born in 66のライブの日は、
初めて独りで歩いた夜でした。

 

 

 

 
自宅から最寄り駅までは
歩いて30分以上かかるので、
もちろん母に車で送ってもらいましたが
 
 
県庁所在地についたら、
そこからホールまでひとりで歩いて
貯めたお小遣いでツアーパンフを買い
指定の席に座る…

 

 

 

コンサートなど初めての中学生の私にとって
全てが初めてで興奮しっぱなしでした。

期末試験? んなもん知るか

 

オープニングSEのLoverが始まった後
出てきたY2。

 

 

それまではずっと
音楽雑誌やテレビでしか見れない存在でした。

 

 
こんなド田舎で、この人をこの目で生で見れるなんて…
実際に目の前にいるのに、正直信じられない、
という感動でした。

 

 

 

 

「ようやく来れたんだ…」
ステージで見るY2は
テレビで見るよりもさらにスリム
 
  

憧れの人を「生」で見ることができたという感動に浸り
歓声を出せるほどの余裕はなく

 
 
ハンサムなご尊顔を見上げながら
ただただポーッ*:..(///o///) .:*
頬を染めていたと思います。

 

 

 

のちにラジオで語られましたが
Born in 66ライブでは
オーラス「STAGE」を歌われた後、
 
演出のスモークの中を観客にバレないように退出し
裏口で待っていた車にささっと乗り込み
車外からは見えないよう伏せて
出待ちファンから隠れて会場を後にしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご存じない方もいらっしゃると思いますが
当時のY2は
日本のミュージックシーンをリードする
トップアーティストの一人。
 

Quote: 一般社団法人日本レコード協会

 
そしてイケメンだったため
女性からの支持がすごかったですよね。
 
雑誌の表紙も何度か飾られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Quote: ORICON WEEKLY 1993.10 /出版:オリコン
 
↑これはもしかしたら初めて表紙を飾られたものなのでしょうか…?分かりません。手元にある、最も古い音楽雑誌のひとつです。
Get along togetherが売れていた1993年10月のORICON WEEKLY。
 
 

 

 

Quote: ORICON WEEKLY 1993.10 /出版:オリコン

 
知らない方からすると
一瞬「ジャニーズの男の子かな?」と思われるかもしれませんね。
こんなにハンサムで…、
お若い頃に芸能事務所とかにスカウトとかされなかったのかな…

 
 

 

山根康広さん 月間歌謡曲
Quote: 月刊歌謡曲 1995.7 /出版社 ㈱ブティック社

  
↑これは恋つばの頃ですね
書店で見つけた瞬間に「やん様!😆」と小躍りしました
 

 

 

 
山根康広さん
Quote: 月刊ヒットソング・マガジン ソングコング 歌王 1995.11 /出版社 ソニーマガジンズ

 
↑3rdアルバム「Born in 66」特集

 
山根康広さん
Quote: 月刊ヒットソング・マガジン ソングコング 歌王 1995.11 /出版社 ソニーマガジンズ

かっこいいんだこれが…
白髪がチラッと見えていて
当時の私にはそれが「オトナー(〃▽〃)」の印象でした。

 

 

 

 

山根康広さん
Quote: オリコンウィーク The Ichiban 1996.1 /出版社 オリコン

 
↑いちばん好きな表紙🥰
当時ティーンエイジャーだった私は
表紙で尊死😇

 
 

Quote: オリコンウィーク The Ichiban 1996.1 /出版社 オリコン

 
かっこいいんだこれも…

 

 

 

山根康広さん 月間歌謡曲
Quote: 月刊歌謡曲 1996.6 /出版社 ㈱ブティック社

↑お気に入りシャツphoto③ She’s my Lady

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今見てもやっぱり…

 
カッコいい…(꒪ཀ꒪*)グフッ

 

 

 

 

 

 

 

思い出BOXを開けてみれば
当時のツアーパンフや雑誌が
そのまま残っていました。

 

 

 

ファンを離れていた頃は存在を忘れていた物たちだけれど

 

 
今こうして再びファンになると、
あの頃のドキドキ感が蘇る宝物ですね。

 

 

 

聞かないで
愛しのマリア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノで2曲パフォームされた後
始まったのは

 

 

ALWAYS -いつまでも変わらない-

あの美しいライブ用ピアノアレンジから始まりました。
これも、ファン以外の方にも
とても人気の曲ですね。

 

 

 

 
ピアノを奏でながら
切ない表情で名曲を歌うY2。
 

 

 
ご年齢を重ねられましたが
姿勢よく鍵盤を叩くその姿…
ふと目を閉じられる瞬間や横顔は
あの頃とお変わりなく、
1995年が思い出されます。 

 

 

 

 

 

 

神戸のデートスポットを題材にしたこの曲、
神様がそうさせたのか、
リリース時期が
1995年1月の阪神大震災のすぐ後でした。1994年の年末のライブでも披露されていたようです。

 

 

Everyoneのカップリング曲でした。
 

 

 

-山根康広の1995年第一弾シングル、「Everyone」。カップリングの「ALWAYS -いつまでも変わらない-」とともに、Winter Specialライブで重要な位置を占めていた曲だ。
 

 
  
-「ALWAYS -いつまでも変わらない-」は、昨年末のライブでは弾き語りで歌われていた、ピアノ主体のバラードですよね。

「この曲は、自分の中では『Good-bye Love Road』とか『恋人よ』の延長線上にある曲なんですよね。
ただ、『これからも変わらない』っていう結末はいつもと違うかもしれないけど」
  

-「ALWAYS 」の歌詞は、今までになかったほど具象表現が多いような気がしますが、地名も出てきますね

「再度山と、ヴィーナスブリッジのことですか?それは神戸にあるんですよ。再度山は、六甲山の隣にある小さな山ですね。そこにヴィーナスブリッジがあるんですけど、あれは何て言うのかな……空中散歩道みたいなものなんですよ。
そこは夜なんかだと空から夜景を見ているような、そんな感じのところなんです。六甲山から見るより、もっと近い感じで見えて良いんですよ。」
Quote: GB 1995

 

 

 

Y2のファンは特に関西に多いと思います。
この日、この会場に、
あの震災で被災された方は何人もおられたでしょう。

  
偶然にもリリース時期が重なり
被災者の方々はどれだけこの曲に励まされたでしょうか。
 

 

 
今、Y2が30年目を迎えられ
変わらず我々を励まし続けてくれていることを
 
ステージを見つめながら
より一層、感慨深く感じられているかもしれませんね。
 

 

-前回取材させていただいたのは地震の2日前でした。偶然そのときにシングル「Everyone」のカップリング曲である「ALWAYS」の歌詞についてのお話の中で、神戸のスポットの名称が出てくることについて語ってもらいましたよね。
 
「神戸というのは、僕にとって大阪の隣の町でもあるし……青春っていう感じですよね。学生時代はどこかに遊びに行くって言うと、神戸でしたから。本当にきれいなところなんですよ、山と海が同じロケーションにあるしね。須磨とかメリケンパークも行ったことがあったし、三宮もよく買い物に行ったりしましたからね。」
 

「よく言われてますけど、これからっていうのは精神的なケアっているのが大切になってくると思うんですよ。その面で歌を通してお手伝いできたらと思っています。
特に「ALWAYS」は、この震災がある前に作った、偶然にも神戸を歌った曲でもあるので、大事に歌っていくつもりです。」

Quote:GB 1995

 

 

 

 

 

当時大学生だった夫は
震災の日、東灘区の友人宅にいたそうです。
早朝の突然の揺れで…家具が飛び交う中、部屋内を転がりまわったと言います。

 

外を見ても真っ暗。テレビもつかない。電話も通じない。
 
 
ただ大地震が起こったということが分かったそうです。
友人の部屋は家具が少なく
幸い大けがはしなかったそうで、
友人とタバコに火をつけ(ガス漏れは?!😱)
「明日試験あるんやろうか…」
単位が危ない彼らはそれだけが気になったそうです。
 
 

 

 
ただ、だんだん夜が明けてくると…
見えた隣の木造住宅。ぺしゃんこになっていたそうです。
「これは大ごとや。」
と、事の大きさにようやく気付いたみたいで。

 

 

  
主人の姉は当時、阪神住吉駅の近くのマンションに住んでいたそうです。
長男がまだ数か月…。主人は「この近くに姉貴が住んどうから様子を見てくる」と、友人宅から住吉駅まで15分歩いて向かったそうです。
 

 
 
倒れた阪神高速…
 
線路には電車が残っていて、
座席を滑り台にして車両から乗客たちが脱出したのが分かったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時田舎に住んでいた私は
あの日、揺れで目覚め、
「地震や、怖い…」
と布団をかぶって揺れがおさまるのを待っていました。
 

 

 
その後おさまってからまた寝て、普段通りに起きたら、テレビでヘリコプターの中継が流れていました。
「神戸がたいへんなことになっとる」と母。
 

 

 
阪神高速の倒壊。
落ちそうなバス。
燃えている家々。
渋滞で進まない車…。そのうちの1台は、夫が姉夫婦を乗せ、命からがら東灘区を脱出しようと運転している車だったのかもしれません。

 

 

 

 

ショックでした。

 

その後数日間の新聞は、当時を忘れないように、と
保管してあります。

 

 

 

 

被災地から離れた私でも、
この震災は相当にショッキングな出来事でした。

 
 
そんな中リリースされたこの「Everyone / ALWAYS」

 

当時のY2のファンの方々の心を
どれだけ支えたのだろう…

 

 

 

 

 

Y2はこの頃
神戸の仮設のライブ会場でコンサートを実施したり
阪神大震災被災者支援コンサートにもご出演されましたね。

 

 

 

 

『MARCH OF THE MUSIC』
日本武道館 で1995年3月7日・8日・9日に開催。
出演ミュージシャン、スタッフ、会場などすべてがボランティアとして協力した、異例の「武道館3DAYS」という大規模なチャリティーイベント。
興行の収益はすべて、運営事務局を通じて神戸に宛てられたそうです。
 
 

 
元オフコースの大間ジロー氏などをはじめとするスペシャルバンドが、各アーティストのバックバンドをつとめられたそうです。
Y2は
「Get Along Together」をご自身の弾き語りで、
「永遠の約束」をバンドアレンジで歌われたそうです。

 

 

 

Quote: GB 1995

 

 

 

 

-今回の阪神大震災被災者支援コンサート『MARCH OF THE MUSIC』に参加されましたが、どんな思いでのぞみました?
「今、僕はこうして仕事として歌をやっていますけれど、単に物理的な問題だけじゃなくて、精神的な部分で被災者の方の支えになれたらいいなと思って今回のコンサートには出させていただきました。」

「武道館のステージは、レコ大のときにも立っているんで2回目でした。客席の皆の顔がよく見える会場ですよね。こういう主旨のイベントには、最も適しているんじゃないかなと思いましたね。

Quote:GB 1995

 

 

 

 

 

当時たくさんのメッセージを被災者の方から受け取られたのか
Y2がその後のツアーで語ったMC…

 

 
「震災から1年が経とうとしますが…。歌っていうのは、口で、言葉で言うよりもすごく心の支えになるというか…。特に、あんな時なんかは…。元気になるというか。そういう部分がすごくあるんだなということを改めて感じました。」

 

 

 

 

 

 

今回のパンデミックで不自由な生活になり、
大好きな人の歌を聴いて心が落ち着くということを実感しました。
 

 

 
当時被災された多くのファンの方は、
この日、このステージで
あの頃を思い出し
「ALWAYS」を聴いて涙を流したのではないでしょうか…。
 

 
 

今の若い子は「阪神大震災」のことはよく知らないと思います。
でも私にとっては「ALWAYS」は
「阪神大震災」
そして
被災地をずっと気にかけていた当時のY2を思い起こさせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ALWAYS」が終盤になるにつれ
気持ちが…
ソワソワして…

期待してしまう自分がいました。

 

 

 

 

もしかしたら
「ALWAYSⅡ」やってくれるかな…

 

 

 

大好きな大好きな「ALWAYSⅡ」…
ファン第2期になっても
まだステージで聴けていなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アッ…

 

 

 

 

 

 

ALWAYSⅡ

 

 

 

 

 

始まったイントロで、
ウゥッと涙が溢れてきました。
(この瞬間を思い出して、文章を書きながらまた泣いています…。きーっボードがうまく打てません)

 

 

 

 

再びファンになってから
ステージでずっと聴きたかったのです。

 

 

 

個人的に思い入れがあるのは…
「Good-bye Love Road」を始めとした
当時の自分の夢を支えてくれた曲たち。

 

 

 

だけど、
「みんなにオススメしたいY2の歌って何?」
と聞かれれば
 
私はこの「ALWAYSⅡ」と答えます。
それくらい、私にとって名曲です。大好きです。

 

 

 

 再びファンになって満5年。
ようやく、ステージで聴くことが出来ました。

 

 

 

 

 

 

この日、照明がまた素晴らしく
美しいこの曲を彩ります。
 

 

 

 
Y2に奏でられるピアノの旋律
スーッと心に入ってくる色褪せないメロディ
やさしくステージを輝かせる照明
 

 
全て完璧でした。
 
 

 

 

  
Y2の右顔を見つめながら
受話器越しに
初めてこの曲を聴いたときの感動を思い出します。

 

 

 

 

この曲のリリースは1996年7月。
武道館公演の少し前ですね。
 
 

 

 
インターネットがなかった当時、
「Y2 INFORMATION DIAL」というものがあり
該当番号に電話をかけると
MOTHERが用意してある音声が流れ、
Y2の新着情報や新譜が聴けるようになっていました。
 
 

 
 

昭和時代の黒電話を使っていた我が家。
このインフォメーションダイヤルを聴きたいがために
何度も何度も親を説得して
ようやくプッシュ回線の電話機を購入してもらいました。
(「まだ使えるのに…」と母にブツブツ文句を言われましたが…)
 

 

 

 

受話器を握りしめ、
「ALWAYSⅡ」を初めて耳にし
感動して、玄関で立ったままポロポロと泣いていました。
 

 

 

 
美しいピアノから始まり
Y2の優しい声が紡ぐ
二人の新しい展開

 

彼女のために二人の家を持とうという男性の決意

 

 

幸せな彼らの「その後」は
私の心の琴線に触れ
心がいっぱいになったことを思い出し

 

 

この日のステージを見つめ
あの瞬間と同じように涙を流していました。

 

 

 

私が昔から変わらず好きなのは
間奏へ続くところの
盛り上がるサウンドです。

 

 
この日
2コーラス目まで、
優雅なこの曲の調べを補完するように揺れていたライト。
 

間奏につながる

 

 

胸のFilm回して…

 

 

の後、
バッ!と
説明しがたい美しさでステージを照らしました。

 

 

 

あぁ…

 

 

 

 

 

 

言葉にできない美しさで
どう表現したらいいか分かりません。
心がいっぱいになって、詳細を覚えられなかった、
というのが正直なところです。

 

 

Y2、そして照明アーティストの方、
ありがとうございます。この曲の素晴らしさを引き立たせてくださって。

 

 

 

私にとっては、まぎれもなく
この日のハイライトは「ALWAYSⅡ」でした。

 

 

1996年8月、30歳のバースデーライブ。
観客からのサプライズライトのプレゼントで
Y2の声を潤ませたこの曲。
DVDで観たあの日の感動が読み返ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

-その道はなだらかなばかりではなかったろうが、彼はこれまで自分の夢をひとつずつ現実にしてきた人だ。そんな彼がリリースする新しいシングル「ALWAYS Ⅱ」は、「ALWAYS -いつまでも変わらない-」という名曲の”その後”をテーマにした、とても美しいバラードである。
彼の人間像とアーティスト像の両者が山根康広らしさとして凝縮、結実したこの楽曲で描かれている大きな夢のかたちは、きっとあなたの胸まで届いて響き渡ることだろう。

Quote:GB 1996

 

 

「前の「ALWAYS」を作ったときって、あれは自分にとっての思い出の場所でもある神戸を舞台に詞を書いた曲だったわけですけれど、あの後すぐに地震があったじゃないですか。
そういうこともあって、あの曲はずっとコンサートでも歌い続けてきた曲なんですね。だから、自分の中でも作った時点からどんどん成長していった曲という感じがするんですよ」

Quote:GB 1996

 

 

-「ALWAYS」についてはファンの方からの反響も特に大きかったそうですね?
「地震にあった人からも、そうでない人からも、色んな手紙をもらいましたね。で、今年の頭くらいだったかなぁ。地震から丸一年経ったっていうこともあったんですけど、あるとき「ALWAYS」の続編を書こうかなって思ったんです。それも、今度はもっと夢を持たせたものを書きたいなって思って作ったのが、この曲だったんです」
  
-作曲のプロセスは前回とは違いました?

「違いましたねぇ。ピアノから始まるのは変わらないんだけど、メロディ自体はまた違うものだったりするし、主旨も同じ主人公の”その後”をテーマにはしているんだけど、今回はあんまり具体的な地名とかは出してないんですよ。それよりも、もっと深い部分であれから主人公の二人が成長したところとか、そしてさらに夢を追っていこうっていう大きなところを出したかったんです」

-細かいサウンド・メイキングの部分でこだわった点というと?
「”優しさ”という点かな。包容力もありつつ、それでいて説得力とか芯の強さみたいなものを出したかったから、そこが難しかったですよね。ただスケール感があるだけじゃ、そういう感覚って出せないじゃないですか。」

Quote:GB 1996

 

 

 

 

 

「ALWAYS Ⅱ」って、
スケール感があるのだけど…
でもなんだろう…
何と言ってわからないのですが
初めて聴いて心にズーンと来た曲。
  
そういう経験があるので、
私は「ALWAYS Ⅱ」の方が、より好きです。

 

  
トラックダウンだけでも20時間がかかったそうで…。
 

 

 

「詞の面でも「ALWAYS」で約束したことをちゃんと一個果たしてるところから始まるんですよ。詞の中に出てくるコーヒーも、前はただの缶コーヒーだったのが、ちゃんと淹れてるでしょ?(笑)」
 

「二人の夢が、ひとつずつ現実になって来てるんですよ。それで、今回その夢っていうことを直接的に言わないで、象徴させた言葉が”家”なんです。今はちっちゃな部屋で住み始めた二人だけど、いつかは二人の家を持とうっていう、そういう言葉で夢というものを置き換えてみたんです」

Quote:GB 1996

 

 
 
私はサイレントリスナーで
普段ラジオにメッセージを送りません。
メッセージに目を通していただくのは嬉しいことですが、
あの声で読み上げられる可能性が無きにしも非ずなので、避けています。
(1度読み上げられて心臓に悪かったので…(꒪ཀ꒪*))
いつかお手紙は出そうかなと思っています。

 

 

 
ただ、この曲は本当にオススメなので
他のファンのみなさんも好きかな…
Y2 BEST SONGの上位に来たらいいな…
と期待しています。

 
ランキングは9月中旬発表?
楽しみです☺️

 

 

 

 

 

 

 

 

Reverso」という辞書ツールがあります。
 
Google翻訳とは仕様が違いますね。
 
Reversoで単語を調べると、その単語を使った例文を出してくれるので、単語の使い方やニュアンスがよく分かります。
 
 
例文で単語を覚えろ!とは高校の時によく言われました。
当時はそんなん無理!って思ってひたすら単語のみを「書いて」覚えていたけれど、
今は例文がないと不安です。コロケーションとかも気になるしね。

 

 

 

Reversoで「date spot(デートスポット)」を検索したら、
例文でALWAYSのことが出てくるんですよ。

 

 

 

この例文はオンライン上の文章から拾ってくるそうなんです。

この、もとの文章は、とある男性の方のブログのようです。
神戸市の再度山へのドライブを記した記事。
ALWAYSのことが書かれています。
そこに「デートスポット」という言葉があったのでこれを拾って英訳したみたいですね。

 

 

 

ただ、Reversoは機械翻訳なので違和感ありますね。

 
私ならこう訳すかな😄↓

 
 As people my age may know, Venus Bridge and Mt. Futatabi are classic Kobe date spots featured in the lyrics of Yasuhiro Yamane’s “ALWAYS – Everlasting Happiness -“.

 

 

 

 

 

 

 

さすがの社会現象
この記事のほかにも、
「ヴィーナスブリッジ」を検索すると
「ALWAYS」のことが書かれた記事は
たくさん出てきます。

 

 

 

 

   
この曲がリリースされるまでは
ヴィーナスブリッジはマイナーなデートスポットだったのでは…?
と思います。

 

 

 

リリース以降、Y2ファンによる落書きが絶えず…

書かれるのは
「二人の永遠の愛」や
「やんちゃん最高」など。

 
神戸市が塗りつぶしても、また書かれる、
塗りつぶしても、また書かれる。
 
 
だんだん有名になり話題になっていったような記憶があります…

 

 

 

 

 

当時はすごかったですね、

私が大学に入学した1999年春、
「関西ウォーカー」というものを購入しデートスポットを見てみたら、デカデカとありましたよ。1ページヴィーナスブリッジ特集。

実際に行ってみると
1999年もまだ「やんちゃんLOVE」系の落書きはたくさんありました。

 

懐かしさとともに
素晴らしい「ALWAYS」「ALWAYSⅡ」の影響力を
実感しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜間飛行

 

美しいこの曲のイントロが始まって、
みんな…
カバンやポケットからアレを取り出しましたね。

 

 

 

徐々に増えるペンライトの明かり

 
 
 

夜の帳が今日も街を包んでいく

 

 

その歌詞が始まる頃にはもう
ほとんどの観客は左に右に
ライトグリーンの明かりを振っていたように見えます

 

やはり大きな会場では
こういう観客席側の演出はサマになりますね。

 

 

そして…
少しとまどったY2の笑顔が垣間見れました。

 

 

 

 

 

 

 

あっ
2階席から観たらこんな感じだったんですね!

 

 

 

 

 

誰も知らない会いに辿り着くまで

 

 

 

 

 

ピアノをひきながら
より一層姿勢を伸ばして
少しとまどった笑顔で
会場の後ろまで視線を飛ばしている姿

 

 

 

マネージャーさん、サプライズ大成功ですね!!😆

 

 

 

 

 

 

このケミカルライトは入場の際に配られました。
わぁ、素敵なサプライズプレゼントだ!
と、ファンとしてもとても嬉しかったです。

 

 

 

観客席で揺れるライト
そこに

 

間奏につながる

やさしさの向こう側に 夜明けが見える

 

の後、
バッとステージを照らした星空の照明

 

 

圧巻でした。

 

「ALWAYSⅡ」に続いて
美しいバラードが心を潤します。

 

 

やさしい笑顔でピアノを弾くY2
 
今、どんなことを感じられているのだろう?

 

 

 

30周年のバースデーライブ
ただただ「おめでとうございます」の気持ちを込めて
こちらは見つめます。

 

 

 

 

30歳の武道館バースデーライブは
私は田舎の高校1年生で
参加できませんでした。
(その年の冬のRun to Runツアーは、Y2が田舎まで来てくれたので参加しました。)

 

 

あの日
「ALWAYSⅡ」のペンライトで
Y2の声を潤ませたサプライズプレゼント。

 

 

この夜、山根康広はオーディエンスにサプライズプレゼントを用意していた。間奏で、武道館の空間を埋め尽くす幾千もの星球、これが一斉に点灯し、武道館全体を星空にするという企画。ところが彼は、そのオーディエンスに驚かされることとなる。
 
実は開場時、全ての観客に1本ずつサイリウムが配られた。「間奏になったらこれを折って点灯させてください」というメッセージとともに。もちろん山根康広には内緒で、である。
 
そして間奏が始まったまさにその瞬間、アリーナ、スタンド全ての客席が星空になった。
歌の途中で、かろうじて声を詰まらせることを耐えた彼の目には、確かに光るものがあった。
 
いつも与え続けている山根康広へ、スタッフとオーディエンスからの、ささやかではあるが大切なプレゼント。
彼の心に残ってくれただろうか。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘Route 816 LIVE IN KOBE ARENA’

 

 

 

Quote: FLASHBACK 1993-1999

 

 
 

Quote: DVD ROUTE 816 LIVE IN BUDOKAN

 

 
私は27年越しに、
リベンジサプライズすることができました。

 

 

 

マネージャーさん始め、関係者の皆様
ありがとうございます😆

 

 

 

 

 

GET ALONG TOGETHER

 

この曲はもちろんパフォームされると思っていました。

 

気になるのは
「どちらで来るかな?」
ということ。

 

 

 

 

 

あっ
このイントロ

 

 

昨年のFIRE BALL 2022同様
この日歌われたのは、

 
Get along together -愛を贈りたいから-
ではなく、

 
Sg Wannabe+にサウンドプロデュースをされたときの
GET ALONG TOGETHER
の方でした。

 

 

3人のハイトーンヴォイスが
別のアレンジで
改めてこの曲の素晴らしさを表現している別バージョンですよね😄

 

 

ストリングスが効いたこのアレンジは
原曲に比べ、エレガントで優雅な感じ
 

 
この日のステージでも
たわやかなサウンドに乗せたY2の渋いヴォイスは
重ねた年齢分、
哀愁漂う響きで会場を魅了していました。

 

 

 

この抒情的な美しさって、なんだろう?

 

 

哀愁は、人生経験が豊富だからこそ出る気がします。

 

 

たくさんの経験を積んで…
 
優しさや怒り、悲しみも心に担って…

 

 

あれから30年も経ちました。
Y2にとって
嬉しいことも、辛いことも、たくさんあったでしょう。
  
 
 
でも、豊富な経験を持つ、頼れる存在の
素敵な50代のアーティストになられましたね。 

 
 

この日も、ものすごい声量です
そして
姿勢が良く、筋肉を感じさせる体型は
57歳に見えません
 
 
 
 
あの…背筋が伸びていて筋肉質な男性って、
若々しく見えるだけでなくて
ミドルエイジになってもカッコいいんですよ
 
お久しぶりにお姿を拝見した
2019年の西宮ガーデンズで思いました。
 
 
  
 
 
 
 
30周年のステージで、デビュー曲を歌われるY2は
大人の余裕を感じられるアーティストになられました。

 

 

年齢とともに積み重ねた、厳しい音楽業界での多くの経験
 
それによって、
少しのことでは動じない落ち着き?のようなものを感じます
 

 
この日のMCや普段のラジオなどから垣間見られる
穏やかな佇まいは
大人としての完成度を感じさせます。

 

 

 

 

 

Y2、改めて
30周年おめでとうございます。
盛大な拍手で、心からお祝いします。

 

 

 

 

 

 

これからもずっと
少し離れた席で
愛を贈りたいから…
(SS席は近すぎて無理😂)

 

 

 

 

 

 

このサウンドプロデュースされたバージョンは
検索したら
韓国の音楽のwikiにも掲載されていて…

 

 

Quote: https://namu.wiki

なんて書いてあるんだろう…
韓国語→日本語で直に翻訳サイトに入れると
ちょっと不自然で…うーん。

 

 
一旦、韓国語→英語にします。

 

 

ふむ…。なるほど…。

 

 

拙訳です。

 

 

日本でのデビューシングル。2008年12月、セカンドアルバムとともに韓国版ライセンスが正式リリースされました。
原曲は、日本のシンガーソングライターとして知られる山根康広が1993年に発表した同名の楽曲である。実はこの曲、結婚する友人のために1週間で完成させたお祝いの歌で、オリコンチャートでトップを席巻、180万枚を売り上げた。90年代のヒット曲の1つであるのと同時に、1993年の日本のミュージックシーンを代表する1曲である。
なにしろ、この曲のために山根康広がSGWannabeにリメイクを依頼されたことが知られ、リリース前から大きな話題を呼んだ。なので、「GET ALONG TOGETHER」を彼らが一緒に歌ったことが知られると、日本のメディアは特集を組んだ!リリースしてすぐに、日本のオリコンデイリーチャートで9位まで上昇したほど。
余談だが、アルバムジャケットが昔の日本のデザインっぽいという評価があった。

 

あ…
たしかにジャケ写が昭和っぽいかな😅

 

 

 

 

リリースは2008年。
私はファンを離れていた頃なので
当時のことを知らないのですが、
検索すると出てきました↓ これのことかな。

 

 

 

今回の楽曲は山根自身がサウンドプロデューサーとして参加し、2008年5月上旬に日本でレコーディングを行なったもの。それ以来の再会となった山根は、sg WANNA BE+が歌う生の「GET ALONG TOGETHER」を聴き「俺より100倍歌がうまいグループだね!」と彼らの歌声を絶賛。
この曲のカバーをしたsg WANNA BE+も山根を「尊敬する優しいお兄さん」と表現し、再会を喜んだ。

 
現在TBS系「2時っチャオ!」のエンディングテーマとしてオンエアされており、USENでも問い合わせやリクエストが殺到している状況だ。

 

 

 

山根康広が1人で歌った曲を、<sg WANNA BE+>が3人のパートに分けて歌うことで一層曲に深みが出て新たな魅力が発散されたように感じた。曲の途中には山根康広本人も登場、<sg WANNA BE+>と同じステージを共にした。

サウンドプロデューサーを務めた山根康広についてキム・ジノは、「僕たちにとても優しく接してくれて落ち着いてレコーディングが出来た。日本語の発音を気にする事を越えて、僕たちが感情を表現しやすいように導いてくれた」と話した。

山根康広は「彼らは本当に歌が上手い。僕の100倍は上手い」と話しながら、「耳がとても良いと感じた。言葉の壁を越えて、僕の言いたい事を一度で理解しすぐに表現できるところが素晴らしい」と話した。

 

 

 

ホントやさしいよね(*゚д゚*)

 

 

 

こういうところで人柄って現れちゃうんだよなぁ…☺️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原曲も
日本以外で多くの人に聴かれていることでしょう。

 


(↑Googleが教えてくれるのですが、フィリピンからのアクセスがたまにあります…)

 

 

海外の動画サイトに
Y2の動画がいくつか上がっていますね。(勝手に😂)
 

 

 

「昭和美男子美声」って
そのままかい!🤣

 

 

 

 

 

どこで手に入れたのか
有線やレコ大の動画もあります。
 

 

 

 

そのほかにも
 
日本の芸能人がこの曲を歌っている動画まであって
 

 
 

おお…と観ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デビュー当時のY2
  
とっても素敵で超カッコよくて…
若い子は、当時 日本中のどれだけの女性がこの人に恋をしたか想像できないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30年前にY2に出会えた曲。
 
デビューまで、相当の苦労をされたようです。
 

 

 

 

日本クラウンからのメジャーデビューだった。形だけで言えば、まさにメジャーデビューである。
しかし、その実態はインディーズ盤と変わりないものであったと言えよう。
レコーディングに当たっては、メーカーでのプロデューサーがレコーディングスタジオやミュージシャンを用意することもなく、自腹でのレコーディング。
作業は、仕事の終わった夜中や土日に集中して行われた。それも、車を片道2時間をかけて友人のプライベートスタジオに通うという強行軍。常に寝不足で、ハンドルを握りながら意識を失いかけたことも一度や二度ではなかった。
 
レコーディングを終えたマスター音源をメーカーに渡し、CDプレスと流通をするといった、メジャーデビューというにはあまりにも変則的で、手作りのCDだった。
 
もちろんジャケット写真にプロのカメラマンやスタイリストを使うこともできなかった。よく遊びに行った神戸の海をバックに、オープンカーの前で友達に撮ってもらった写真がジャケットになった。
 
宣伝費もなく、もちろんCMやTV、ラジオ番組の露出もない中で発売となった。

当然、リリースされたことすら知らない人が多い中、地道なプロモーションが続けられることになる。
全国放送はおろか、地方局での出演もままならない状態が続いた。
 
メジャーデビューはしたものの、当然音楽では生計を立てていけるわけもない。
そう、彼はサラリーマンとの二足のわらじを履いての活動しか選ぶ道はなかった。  
 
そんな中、有線放送には足しげく通った。当時、有線放送へ行くと1回は自分の曲を流してもらえたからだ。
そのうち、大阪や神戸のTV、ラジオには少しずつ出演できる番組が出始めた。
だが、有線放送に通う日は続いた。
また、どんな小さなイベントにも出演した。ひとりでも多くの人に歌を聴いてもらい、歌に込めた自分の思いを直接伝えたかったからだ。
デパートの屋上、駅の改札口前、遊園地のジェットコースターの下だろうが構わなかった。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘Route 816 LIVE IN KOBE ARENA’

 

 

 

 

 

デビューから15年。そんなにも長い間アーティスト活動をしてきたのか。
ひとつのことを続けるからには相当の努力と精神力の持続が必要だ。
特に、作品というものを生みだし、世に発表するシンガーソングライターともなるとなおさらだろう。
いつの時代も多くの人たちがこの世界に憧れ、そして挫折する。
プロフェッショナルとしてデビューした人の中にも、志半ばで夢破れ、あきらめざるを得ない人もいる。
 
山根康広にとって、この15年はどうだったのだろう。

長く苦しい15年だったのだろうか。
それともあっという間に駆け抜けた15年だったのだろうか
 
(中略)
 
デビューしてからの活動が順風満帆であったら、これほどの連帯感、彼に対する強い思いが色濃くはなってなかったのかもしれない。

メジャーデビューとは名ばかり、宣伝費もかけてもらえない、CDショップに並ぶこともままならない。
 
関西出身のシンガーソングライターのデビューは、決して明るいものではなかった。誰も知らない、知る術がない状況の中で、彼はあきらめることなく地道な活動を続けた。テレビやラジオでは取り上げてくれない中、唯一楽曲が流れるのは有線放送だった。
当時、「Get along together」は有線から火がついたと言われたが、逆を返せばこのメディアからしか歌を聴けなかったのだ。
 
デビューして半年が経った頃から、街中に彼の歌声が流れ始めた。有線リクエストの成果が徐々に形となって現れ始めた。

今の時代、いくらいい楽曲であったも売れるとは限らない。でも、いい楽曲は売れる素質を持っている。
 
「Get along together」が人々の知るところとなると、売れ始めるのに時間はかからなかった。いい楽曲をやっと世間が気づき始めたのだった。

結果、このデビュー曲は180万枚を売り上げることとなる。
 
1993年に起こった山根康広をとりまく環境の変化、その後の彼を見ていると、必ず彼は息の長いアーティストになると感じたことは、外れていなかったと思う。
 
あの雨の日に初めて出会った山根康広、

今、目の前で語っている山根康広。
 
音楽的には飛躍的に成長した。声質も変わり、より太く男っぽい声になった。

でも、朴訥なところ、何にでも真剣に取り組むところ、どこかやんちゃで屈託のない笑顔。何も変わっていない。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘GOLDEN FLYER’

 

 

 

なんというか…
とてつもなく努力家でありながら、自分ではそれに気づいてない感じ。

 

その努力のおかげで、出会うことができました。

 

 

 

1993年のあの日

 

誰だろう?
このアーティストは… 
新しい人かな…
 

 

  
 
ものの5分で虜になり、ファンになりました。

 

 

「ものすごいいい曲を、ものすごいハンサムなお兄さんが歌ってる!」 

 

 

 

 

出逢えたあの日の感動と衝撃は、
今も忘れられません☺️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WITHOUT U

始まったのは、せつないあのイントロ。
また、聴くことができました。
 
昨年のFIRE BALLでは、
まさかのサプライズ披露で
我々を驚かせてくれた曲です。
 
 
 
 
 
昨年春の
充電期間に書かれた曲ですが
まだリリースが決定されていませんね。
 
ステージで聴くことができて、
とても嬉しいです。
 
 
 

 

 
5分ほどの曲の中には
絶望と落胆、
そして奇跡への感謝が叙述されていて
 
 
Y2を苦しめたパンデミック中の
様々な感情が込められているように感じます。
 
 

 

 

パンデミック初期に書かれた
「THE ANTHEM」は
未知の恐怖に怯え委縮してしまった我々に
地の底から這いあがるような力強さを
聞かせてくれた曲でした
 

 
「僕らは負けない」

 

その一言に、不安が絶えなかったあの時期はどれだけ励まされたか…

 

 

 

 

 

 

 

 

そして
(日本の)パンデミック中期に作られ
2022年8月のFIREBALLで初披露された
「WITHOUT U」は
 
 
長びく日本のパンデミックの中で感じた
「共鳴する胸奥の心情」
が叙述されているように思います。
 

 

 

 
 
 

私自身が勝手に感じているだけなので
なんと表現したらいいか分かりかねますが
 

 
 
「奇跡」を視点に
Y2自身が実感した
「支えてくれている人がいるからこそ」
という気持ちが表現されていて
 
 
 

そしてその思いは
あの日の観客側にとっても同じで
 
セレンディピティのような…
いや
もしかしたら巡り合わせのようなものだったのかもしれない

 

 

 

そんな思いを胸憶に納め、
そう感じた多くの人の存在により
あの壮大な拍手につながった
そんな気がします。
 

 

 

昨年夏は
まだ日本では
コンサートライブでは声を出すことができず
拍手で演者に応援を贈る形でした。

 

 

 

 

 

今年、ようやく日本で
カンセンタイサクは終わりました。
(カンセンタイサク禍は続いていますが)
 

 

今年は、さらに盛大な拍手、
そして歓声が聞こえます
 

 

この曲に共鳴する観客たち
 
 
私も精一杯、

 

「Y2、貴方に逢えた奇跡にありがとう」

 

と拍手を送りました。

 

 

普段のFCライブでは少数派の男性観客たち
今年のFIRE BALLでは
その人数が私は嬉しく
 
 
殿方たちの力強い歓声を耳にし
とても頼もしく感じました。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

「あの時はたいへんだったなぁ。」と
震災や台風、他のいくつもの災害の被災者の方も、
普段は口にしなくても
何年経ってもずっと心の中に、悲しみとともに抱えているのでしょう。

 

 

 
  
いつか、
2020-2022年のパンデミックのことを子供たちに話すだろうと思います。
 
 
絶望したこと。
人と会うたびに体調を崩したこと。
自分の選択を非難されたこと。
鬱になりかけたこと。
2022年3月、義憤を抱え、やり切れない思いで過ごしたこと。
 
 
そして
音楽を聴いてとてもとても励まされたこと。
これはいつの時代も変わらないことだと思う、と。 

 

 

 
10年後は高校生。
「ふーん…」という感じだろうな。

 
 

 

 

 

 

そして

「お母さんはパンデミック直前に、若い頃に憧れ焦がれ続けたお兄さんに再会できた」ことも。

 

 

 

 

 

 

このタイミングは
単なる偶然だったのかもしれません、
 

 
ただ、
そのご縁を大事にして、感謝していきたいなと
この曲を聴くたびに思っています。
 
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曲が終わり、Y2が退場。
次は何が…と思っていたら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サ「みなさーん!」

 

えーっ!😆😆😆
サトシさんのMCが始まった!!!😆😆😆
楽しー😁

 

 

 

 

バンドメンバーを1人ずつ紹介していくサトシさん
しゃべりがすごい慣れてはる…

毎週ラジオで声を聴いているからか
自然に聞こえます😄

 

 

 

 

 

いつもお茶目な雰囲気の
DRUMS 小林さん

 
Y2の決めポーズを真似して皆を笑わせた
BASS 中島さん

 
一回りくらい年下で、周りを立てていた
SAX & PERC ミツルさん

 
キリっと渋いバンドマスター
KEY 島田さん

 
 
皆さん、個性があって面白いですよね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サ「そしてギターは僕、西本諭史です!」

 

「変態!」

 

「誰が変態や!🤣」

 

 

 

 

✯(◍◕ܫ◕◍)ฅ ⚡✰⊃=͟͟͞͞◓

変態モンスターボールゲット😂

 

 

 

 

 

 

着替えて戻ってきたY2。

 
サトシさんに、
「どれくらいの人がラジオ聞いてくれてるかリサーチしよう」
と言って、
会場のリスナーに拍手してください、となりました。
 
 

 

 

わぁ😄かなりたくさん居るー!
と私は思ったのですが

 

 
Y2「(会場の)半分くらいかな…」
えっ😳ステージから観たらそうなのかな

 

 

 

「サトシ、こういう時は(落ち込まないで)盛り上がろう!今年は30周年~!」

 

 
とY2が言った瞬間、
HAPPY BIRTHDAY♬
の曲が流れ
四角いケーキが運ばれてきました。

 

 

 

 

えっ!!!!

会場中がどよめき😲

 

 

 

ケーキを運んできた男性を見て
Y2が「何しとん!」という表情で笑いかける…あれはどなたなの?

 
あっマネージャーさんなんですか?😳

 

 

 

 

「30周年おめでとうございます!そして!誕生日じゃないですか!」

 

 

 

突然のサプライズにY2はタジタジ😂
MOTHERスタッフ・関係者の皆さん、企画ありがとうございました😆

 

 

 

「あのペンライト…、普通は少しは知らせて『合わせてくださいね』とかあるやん…。 えっ俺だけ何も知らんかったん?それ身体に悪いわ…」  
 

 

 

心臓を押さえてそんなことを…😂
ずっとお元気でいてくださいね😄

 

 

 

「Happy Birthdayの合唱をみんなでやりましょう。みなさん、”Dearやんちゃん”でお願いします」 

 

 

Y2「俺も歌うの?
(↑天然)

 

 

 

いや普通主役は歌わへんやろ!🤣 

 

 

 

 

その後、会場に響いたHappy Birthdayの合唱…

 
Y2は豪快にろうそくを吹き消し…

 
盛大な拍手😆

 

 

 

 

過剰なカンセンタイサクが終わり
迎えた30周年。
「おめでとーう!」
観客席からの歓声を非常に嬉しく感じます😭

 

 

 

 

 

 

「僕たちみんな、康広さんのこと大好きですから!」 

 

 

マネージャーさん…🥹
なんて嬉しい言葉。

 

 

 

どうか、お願いしますね。
Y2が無理なスケジュールを組まないように…。

 

 

 

 

 そういえば30歳の頃は

「事前に知らせてほしい。男のシブさが崩れてしまう」

とALWAYSⅡのサプライズペンライトのことを言われてましたね。

 

 
シブさは、
今年は崩れていませんでした。

 

 

 

さすがイケオジです😆

 

 

 

 

 

 

このへんからもう曲の順番覚えきれずバラバラです

 

 

Good-bye Love Road

今年もパフォームしてくれて本当に嬉しいです。

 
隠れた名曲で
この曲が大好きな人はとても多いはず。

 

私もその1人です☺️

 

 

 
 
明るいサウンドで
歌詞はとてもドラマティック。
 

 

恋に落ちた日のこと
別の道を歩んだこと
彼女は家庭を持ったこと
そして
赤いクーペは今も二人の愛の証だと彼は想っているということ

 

魅せるサウンドと
皆を引き込む素敵な歌詞
 
私にとって、完璧な曲です。
 

 

 
1番好きなY2の曲は?と言われると、
少し「うーん…」となりますが
やっぱりこの曲かもしれません。
 
 

 

 
ステージでニコニコと歌うY2。
照明は、派手ではありませんでした。
曲そのものの良さが伝わってきますね。

 

 

普段のライブでも頻繁にパフォームされる曲ですが
私にとって想い出の曲なので
毎回のごとく、私はとても嬉しいです。

 

 

30周年のFIRE BALLでも聴くことができた…
手拍子をしながら
感慨深く、嬉しく思っていました。

 

 

 

 

学生時代のバイト先の先輩の話をエッセンスとして
1974,1979という言葉が入っているそうです。

 

 

 

 

 

 

 
田畑の中、自転車をこいでCDショップに行き
「あ、ほんとだ!アルバムが出てる!」
とウキウキで買ったBACK TO THE TIME

 

 

30年前のあの日
CDラジカセの前に座り
この曲を聴いて、夢を見つけた

 

 

Y2の曲は
1つ1つが物語のようなストーリー性を持っていて
多感な頃の私の心は
素敵なメロディにのったドラマティックな歌詞に
大いに涵養されました。
 

 

 

曲に登場する「彼女」と「僕」
彼らが私の脳内で
この歌詞をベースに物語を展開していった…

  
その瞬間を覚えています。
再びファンになってから、思い出しました。

 

 

 

 
 
 
Y2は音楽を通して
「みんなと出会えたこと」が本当に嬉しい
と言っているけど

 

Y2と出会えたことで、
楽曲から多くのことをもらっている人間もたくさんいるんですよ。

 

 

 
想い出の曲を
30周年のステージで聴くことができて
感無量です。

 

 

 

 

VELVET MOON RIDER

この曲…
とってもムーディー( //Д//).:*

 

50代のイケオジになられたY2の魅力が分かる曲です。

 

いわゆる
「ミドルエイジの男の色気」
というものです🥰

 

最高にシビれるじゃないですか😆

 

 

 

 

 

ファンをしばらく離れていた私の中では
Y2はずっと、38、39歳頃の
「ハンサムなお兄さん」
のイメージで止まっていました。
 
 

 

それが、
再びファンになって会いに来たら
50代の、飾らない落ち着きのあるオジサマになられていました。
 

 

 

 

 

 
今、海外の動画サイトで過去の映像をみても
例えば1999年のテレビ大阪番組「山根康広 in LA 天使の街へ」とか
(J-POP好きなChineseの方多いですね…)
  

 

 
インタビューに答えるその姿は
本当に
「気さくな関西人のおにいちゃん」
です。
しゃべり方が若い…。

 

 

 

 

 

2018年、久しぶりにお姿を拝見したときは
随分と時を経たな…という思いがありましたが、

 

2019年、ライブを体験すると 
オトナー(*゚Д゚)
な感じのアーティストになられたんだな、と感じました。

 
何でも受け止めてくれそうに感じる余裕は、50代男性ならではの魅力なんだな…
と実感するようになりました。
 

 

 

 

 

50代の男性の
飾らない落ち着きを演出するこの曲
照明がパープル、ブルー、レッド、
とても艶っぽい色調でステージを照らします

 

 

ひとまわりほど下の私としては
さらに低くなられた声もあって
抜群の包容力がツボに感じます(✱°⌂°✱)ドキ
 

 

 

 

いつもY2はものすごい声量ですが
ステージの上からこの曲で感じられるのは
 

厳しい音楽業界の中で長い時間を生きてきたからこその
力強いヴォーカルの中にある
 
漂う哀愁や
穏やかな優しさ
 

↑注)胸キュンポイント⚠️
 
 
 
これこそがイケおじの魅力(自論)
 
  
 

こういった味のあるものに、
イケおじ好きはキュンとしてしまうんでしょう。
オーディエンスのナイスミディたちは聴き入っている模様|゚Д゚`)。o(オオオ…)

 

まさに
経験豊富な大人の男性にしか持ち合わせていない魅力を感じられる曲ですね。

 

 

 

 

少年

わーっ!!😆
今年も来ました!!

もうみんな待ってたよね😁

ブワァーッという白煙が、今年もすごい!
というか、例年より多めでは?!😲

 

 

 
あっ
これ「エアバースト」っていうんですか?
知らなかった…
トシさん、教えてくれてありがとうございます😄

 
 

 

 

 

1階席の後ろでも、ほんのり冷たさを感じられました😆
通路側だったからかな

 

 

 

ちょ、ちょっと!
多めじゃない?今年!😲

 

 

イントロでブワーッと出た量が
ステージを埋め尽くし…
全く見えない!

歌詞が始まっちゃうよ…

 

 

 

 

と思ったら

 

絶妙なタイミングでY2が現れた!😲

 

 

裸足の愛だけで駆けてきた

 

 

 

えーっ!!何この絶妙なタイミング!
計算すごい!!

 

 

 

 

 

 

ライブに欠かせないこの曲。
私は1994年に初めて聴いたときから大好きです。
 

映像には入っていましたが、
しばらくCDとしてはリリースはありませんでした。

 

 

ファンからのレコーディングリクエストが多く、
ようやく4thアルバムに入りました😄

 

嬉しかったなぁ…

 

 

 

 

 

 

 

ROCK’N ROLL NIGHT

Y2「さあ今日はタオルを回すぞー!!」

 

 

叫ぶY2、
そして、オーディエンスもバッチリ用意していましたよ

 

私の隣の男性は、
Y2に向けてタオルを顔の前で拡げていらっしゃいました

 

 

 

 

今年のデザインはこれ

30TH ANNIVERSARY
が誇らしい😭

 

私はチケット申込時に予約しましたが
当日販売もしていましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パアン!
と弾けた火薬は去年より控え目😆
(昨年は2階席でも強烈でした…)

 

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

おお…

 

 

 

 

 

 

パンデミック後、
初めてタオルが回った
😭😭😭😭😭

 

 

2022年、
緩和されゆくカンセンタイサクの中
何度かこの曲を体験しました
 
 

 

 

 
海外で「コロナ?いつの話や」となっても
ライブハウスのガイドラインが変わっても
5類になっても
 
タオルはまわらなかったのです。

 

 

 

 

ステージを色鮮やかに照らす照明
会場を旋回するスポットライト
 

 
後方から見る会場は
一体感が爆裂

 

嬉しい…😭😭😭

 

 

 

 

 

 

 

 

栄光の季節

 

 

 

ここで本編終了。

 

しばらくの間、
アンコールの声で
Y2の再登場を待ちます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

ENCORE

 

 

聞いたことのある曲のカバー。
QUEENの有名な曲ですよね。
 

 
 
歌詞は私は知りません。
でも滑らかに洋楽の英語を歌うY2…
 

 
 
 
Y2,私より発音いいです😆
(もう私、超テキトーなので😂)
 
 

 

 

 
 
なんだろう、次は…

 

SINCERELY

洋楽ロックナンバーの次にこの曲が来るとは!
意外すぎました😲

 

 

そして…
女性オーディエンスたちの歓声…😭

 

 

ONLY ONE SONGで
人気第一位…
 

 
女性陣の心を掴んで離さない
不動の人気曲

 

 

 

もちろん私も大好きです😭

 

 

 

 

アラフォーの頃書かれた曲ですね。
 
ミドルエイジになる頃のY2が
包み込むような、深い温かさを描いた歌詞
 

 
 
私の手元には、このCD(2005.08.10)から
ありません。
この曲のリリース前に
ファンを離れてしまったのでしょうね。

 

 

2018年に、この曲が入っている
9thアルバム『GOLDEN FLYER』を購入しました。

山根康広 GOLDEN FLYER

「こんな名盤が2007年にリリースされていたの?!」
と驚いたんです。

 

 

1曲目「THE HERO」からスーッと心に浸透しました。
 
「WHITE LOVER」「夜間飛行」とキュン死ソングが続くし
ブルースっぽい「So much I LOVE YOU」はとってもお洒落

アレンジ、すごく凝ってるな…特に「太陽光線」
 
そして…
包み込まれるような「SINCERELY」

 

 

 

オトナーな感じ満載…
 
その出来栄えで
私をスルスルと大ファンに戻してくれたアルバムです。

 

 

 

だからといって、メッセージ性だけにとどまらないのがこのアルバムの良いところであり、スゴイところである。
それは、まるで映画を観ているかのようにイメージをかき立てる情景描写、おもわず主人公になってしまうドラマ展開。
そしてなによりも、アルバム1枚が大きなストーリーになっているのには驚かされた。またメロディやサウンドにも、嬉しい発見がある。
全体を通して聴いてみると、いろんなバリエーションの楽曲があることに気づかされる。
 

曲調はもちろん、これまでの山根康広とは一味違うサウンドとなっている。実際、今回のアルバムではアレンジを楽しんだという。
ストレートに表現するものもありながら、大人のテイストを加え、深みのあるアレンジで世界観を拡げていく方法もとった。
 
 
大人という意味では、コードの使い方、サウンド作りにもこだわり、聴く人の予想をいい意味で裏切る場面も出てくるのだろう。
しかしながら、それが聴く者の心に心地よく入り込んでくるから不思議だ。

Quote:TOUR PAMPHLET GOLDEN FLYER

 

 

こんな素敵な曲がリリースされていたのですね…

 

40代のY2のご活躍を知りたくて、
他のファンの方に譲っていただいたツアーパンフを読みながら
改めてY2の才能に対し、畏敬の念を覚えます。

 

 

 

もう一度、ファンをやりなおしますね(笑)

 

 

 

30周年のステージで、改めて聴けて嬉しいです。

 

 

離れていた時期を取り戻すように
ファン第二期、
これからもついて行きます( *´꒳`* )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女と映た夏

来ました!
この曲も名曲😆
 

 

 

アコースティックサウンドが切なさを助長させ
映画のワンシーンのようなドラマティックさを醸し出す
夏を代表する、人気曲です。

 

 

 

Y2の紡ぐ物語を
名ギタリスト、サトシさんが
せつないギターで彩ります。 

 

 

 

Y2は初めてサトシさんに出会った日
「この人めっちゃギター上手い」
と思われたそうです。
 

 
↓今
「サトシはギター持ったら変態(的に上手い)」

 

誉め言葉!😂

 

 

 

過去ツアーパンフレットに
サトシさんの紹介文がありました。

 

 

1992年山根康広は彼と出逢い、1st ALBUM 「BACK TO THE TIME」のレコーディングよりギタープレイヤーとして参加。以降、デビューLIVEとなった大阪a.m.HALLをはじめ、全てのコンサートでステージを共にしている。
彼のバックボーンとなっているロックスピリッツ溢れるギタープレイは山根康広の音楽にとって必要不可欠な存在となっている。

『僕の座右の銘は「日々精進」と「為せば成る」です』

Quote:TOUR PAMPHLET ‘OneMoment’

 

 

日々の精進がサトシさんを天才ギタリストにさせたのですね…!

 

 

 
サトシさん…お若い頃よりも痩せられて、垢抜けされましたね。
昔はふっくらされていました。
(Y2がスリムなので、横に並ばれたときの印象が…)

 

 

 

 
でも久しぶりに写真をdiaryで拝見したときに
 
「西本さんだ!ずっとご一緒なんだな…しかしほっそりされたなぁ…」

 
と驚きました
(ダイエット法を教えてほしい…毎日息子に脂肪をつままれています)
 
シュッとされて、お若い頃よりも素敵です😄

 

 

 

 
お顔からにじみ出る
「とてつもない良い人」感。
毎週ラジオで演じられてる汚れキャラは、
本当に憎めません
(Y2 WINDING ROADコーナー大好き)

 

 

バンドの中で、デビューライブからずっと山根康広とともに活動し、彼のサウンドを最も愛し、支える理解者でもある。
彼の生み出すギターソロは、まさに山根康広の描く音楽世界の一部とも言えるだろう。
 
全身から熱いROCK SPIRITSを放った魂のフレーズから切なくやさしい旋律に至るまで、彼の音楽をもっと幅広く、もっと深く掘り下げ、山根康広の音楽表現には欠かせない孤高のギタリストである。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘Route 816 LIVE IN KOBE ARENA’

 

 

 

 

この曲の間奏で
会場に響く、せつないサトシさんのギターソロ。

 

 

 
Y2が信頼を寄せる名ギタリスト、サトシさんが奏でる
切なさに満ちた調べ…

 

 

 
哀愁漂う、夏の名曲「彼女と映た夏」の
もの悲しさを
如才なくその弦で彩ります。

 

 

 

 

 

サトシさん…

今日も安定の変態で素晴らしい😍

 

 

 

 

 

 

Final Chance

 

BOYS & GIRLS

いやあああああああああああああああ
この曲大好きなんです😆😆😆
 
 
6thアルバム「on the BACK STREET」
私が大学1回生の時にリリースされたこのアルバムは
 
夢とともに歩きながら
毎日必ず聴いていた、想い出溢れる1枚です。
 
山根康広 BOYS & GIRLS on the BACK STREET

ライブでパフォームされるたびに
嬉しくてテンション上がってしまいますが
30周年のステージで聴くことができて幸せです。
 

初めて聴いたとき
グルーブ感溢れるこの曲に
「何この曲めっちゃカッコいい!😆」
と胸が高鳴りました。

 

 

私の中で
One of Y2’s coolest songs…
「Y2の曲でいちばんカッコいい曲」
のひとつです😍

 

 
 
この日、この曲の照明がスゴすぎて…
眼に焼き付いています。

輝かしいスポットライトが
右に!左に!鮮やかにステージを照らし
  
その下でY2が生き生きと歌う…
 

 
You can stand up!
その君の力を信じて

 

 

 

受験が終わり、
一人暮らしの自由を謳歌し
私は夢を追いかけていました。

 

 
この年に初めて大阪会場でのY2のステージに参加しました。
 
「盛り上がりが地方とは違う!」
 
圧倒される空気にこちらの心も上気し
弾む心でステージを楽しみました。

 

 

 
明日は君を裏切らない
 

何度も励まされ、心がいっぱいになりました。
そんな19歳の、自由になった頃を思い出させる、素敵な楽曲。
 

 
自分の将来にワクワクした、
あの頃の溢れる想いが今、30周年の会場で爆発します。

 

 

 

 

Everyone

これまたエアバーストがすごい!😆

ブワァー!と出てステージを演出します。
SS席の方や、花道に近い人はすごい迫力だろうな!
 
これまた、会場の一体感がすごいです、
この曲はね、昔からすごいんですよね😄
 

 
久しぶりにライブに来て、
「すごい!Everyoneのフリが何も変わっていない!」
と驚きました😆
 
ライブに欠かせない曲で、
毎回のように歌い継がれている鉄板ナンバーですね。

 

 

 

 

この曲を初めて聴いたのは、
前述した「Y2 INFORMATION DIAL」
 
受話器から流れる、ノリノリのサウンド
幸せな歌詞に心は高揚し
「いやああああああああ😆リリースが待ち遠しい!」
と1人騒いでました。
 

 

 
 
玄関で興奮する私を
「…」と見つめている母の視線…!

 

 

いやいや母よ、
黒電話やめてプッシュ回線買ってもらえて、
私は幸せだったんだよありがとう😊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

OneMoment

私の受験生時代を支えてくれた曲です。
この日も、男らしくてカッコいい…

 
さすがの30周年、
懐かしい曲から最近の曲まで
ジェットコースターライブで魅せますね。
 

 

 
Y2の楽曲とともに大人になった私
 
人生の選択時にいつも側にあった曲たちが次々にパフォームされ
溢れる想いで心が満たされました。
 

 

 
音楽は、記憶を呼び戻します。
それを実感したのはY2の楽曲に再会し
再びCDをかけた5年前の夏。

 

「この人の楽曲が私の青春時代を保存してくれていた」

 

そんな感動に導かれて、再びファンになると
毎日、心が潤うような感覚になりました。 

 

 

 

懐かしい曲がたたみかけるように繰り出される。
あの曲の頃はこんなことがあった、この曲はあの思い出につながる…。
楽曲を聴きながら、その当時の出来事や想い出が、まるでフィルムのように胸のスクリーンに映し出される。
 
オーディエンスひとりひとりの胸にも、同じような想いがあったはずだ。
会場にいる全てのひとの想いが、ステージ上の山根康広に注がれる。山根康広はそれをしっかりと受け止め、さらに大きな力で観客席に投げ返す。
やはりライブは最高だ。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘GOLDEN FLYER’

 

 

 

 

目を閉じて歌われる瞬間は、
あの頃と変わりません。
 
 
これからも大事に歌っていってほしいな☺️

 

 

 

CLOUD9

 

八月の詩

昨年度もパフォームされましたが
ステージでの迫力とメッセージ力が
半端なく強力な楽曲です。

 
  
落ち着いた照明なのですが
ステージで語るように歌うY2は
その声で彼の世界を表現し、我々にダイレクトに届くようです。

 
 

人は大人になり 青い空を忘れてく
 

その一節が心に刺さり
クッと心臓が収縮する感じを覚えます。
 
 

 

 

30周年のステージで夢を歌うY2
これまでも、いつだって前向きでした。

 
「夢を忘れるな」「君ならできる」
というメッセージで
30年、常にみんなを励ましている人です。
 

 

 
 
この曲では
夢をあきらめた人たちに対して

 

だけど胸震わせてたあなたは今もここに

 

と語りかけます。

 
 
タイトルに「八月」を入れることで
ご自身にも言い聞かせるように
大切に歌っているのかもしれません。

 

 

 

 

 

私は1993年、Y2の楽曲に夢をもらいました。
 
だけど就職し、
「この職業でいいのか…」と悩む中
徐々に情熱が無くなっていきました。
 
 

 
 
社会に出てちょうど1年経った2004年4月にリリースされた8thアルバムに対しては
 
「山根さん、曲の感じが変わった?」
 
と感じ、曲を聴く回数が減っていきました。

 

 

 

 

「友達とご飯を食べてくる」と彼氏に嘘をついて参加した2004年の公演。
ライブの内容を全く覚えていません。
そう、徐々にライブで心が盛り上がることがなくなっていったのです。
 

 

 

 

 

心苦しいので今まで書いたことはありませんでしたが、
このライブの終演後、会場を後にする際に思ったことは
今でもはっきりと覚えています。
 

 
「もう山根さんのライブに来るのはこれで最後かな…」

 

ツアーパンフが販売されているサッカー台を見ながら
ホールを出て、
ライブの余韻もなく駅に向かいました。 

 

 

 

 

Y2から夢をもらい
夢を諦めた自分には

 
 
風に吹かれながら夢見て

歩いて行ける君となら 夢が叶う日まで

そうこの今がある限り明日は訪れる

立ち上がれ 君のため風は吹いている
 
 

そのような前向きな歌詞が
後ろめたい気持ちになったのか

 
反動のように、聴かなくなっていきました。
 
 
 

 

 
 

 

このままでいいのか、と悩みながらもキャリアを磨いていた20代前半
 
 
最初の会社を社内恋愛のイザコザで退社した後、
外資系企業に中途入社しました。
潤沢な予算があり
やる気のある若手ほど、色んなことを任せてくれました。
何より、人間関係がとても良い会社でした。
 
 

 
アメリカ資本、
ボスはオーストラリア人、
上司の一人はイギリス人、
そして東京の本社からくる人たちは様々なバックグラウンドがあり
何か、動物園の柵の中に入ってしまった(?)ようなおもしろい感覚になりました。
私はさしずめ…タヌキですかね。
 
 
 

 
仕事が楽しくなってきたこの頃、
追いかけていた夢のことは忘れるようになりました。
キャリアのために、過去のことを口に出すこともありませんでした。
 

 
踏み絵…いや踏みCDみたいなことは嫌なので
当時のイケメン嫌いの彼の手前、Y2のCDはすでにクローゼットの奥底に隠してありました。iTunesからも削除しました。
 

 

 
そして最終的に、全く聴かなくなってしまいました。 

 

 

 

 

 

 
 
 

 
 

けれど、再びY2に再会できたのは

キャリアを積み
職業に「これで良いんだ」とう自信を持ち
人生の宝物を得た後。
 

 
 
声を久しぶりに聴くと
不思議と、驚くほど素直に若かった頃の思いを
受け止めることができました。
 

 

 

そうだあの頃の私は、あんなにも夢を追いかけていた…
 
あんなにキラキラとした青春時代を過ごせたのは、
この人の楽曲に出会えたからだ

 

 

 
と、素直に再会を喜ぶことができました。

 

 

 

 

 

キャリアを積もうともがいていた若い頃
自身の夢が叶えられなかったことを意識したくなくて
避けるように聴かなくなったY2の楽曲。
 

 

 

 

 
しかし仕事の量を減らし、
自分の人生の主役が「子供たち」になった30代後半、
仕事に対する執着がなくなったのか

 
 

 

 
あの頃追いかけていた夢は、
「大切な暖かい思い出」となり
Y2の楽曲を再び楽しみながら聴きこむことで
 

 

 
当時の自分と和解することができた

 
と感じました。

 

 

 

 

 

皆、夢を持って生きている。特に10代から20代にかけては、いろんな夢が溢れかえっていたに違いない。だけど、30代を迎えるようになると、夢だけを追いかけていられない、という現実に突き当たる。
人は少しずつ、夢をあきらめてゆく。40代から先は、さらに夢は遠くなり、昔あんな夢を持っていた時期もあった…などという郷愁とともに、忘れ去られる存在になってしまうのだろう。
  
でも、夢を追いかけていたいたあの頃に見上げた空と今の空は変わらない。むしろ変わってしまったのは、自分の方だ。
そんなことすら忘れて、毎日追われるように日々を生きていくうちに、大人になったんだから仕方ない、などと自分に言い訳をするということは、あの8月の空さえ忘れてしまうということ。
 
ライブ会場で、みんなと一緒にこの歌を歌うことによって、もう一度みんなと大きな夢を作りたい。
そして、みんなも夢を忘れないでほしい…。
歌詞を覚える必要などない。気持ちがあればそれで充分だ。
彼は、確かにそう語っていた。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘Route 816 LIVE IN KOBE ARENA’

 

 

 

 

「30年、やっててよかったな、と思えるのは…
やっぱり音楽でした。」

 

 

MCで語るY2。
本当に…ありがとうございます。
 

 

 

 

 

「30歳の誕生日は武道館、
40歳の誕生日は神戸ワールド記念ホール、
様々なステージを経験してきました。
 
ここまで歌ってこれたのは、皆さんのおかげです。本当にありがとう。
 

 

 

 

毎回、ライブがひとつ終われば振り出しに戻ります。
ひとつ終われば、また最初から。ひとつ終われば、また最初から。その繰り返しです。
 

 

 
この身が燃え尽きるまで自分なりにやっていくので
よければ俺についてきてください。」 

 

 

 

 

 

この日は何回かMCがありました。
つなぎあわせると、このような趣旨だったと思います。

 

 

 

Y2、貴方に出会えて本当に良かったです。
 

 
貴方の楽曲は、
若かった頃の私を彩り
ミドルエイジになった今を潤し
私の人生の大切な一部となっています。
 

 
 
ステージで「八月の詩」を歌うY2を見つめ
感謝の想いでいっぱいになりました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ふとY2が後ろを振り向いた瞬間
 

 

 

 

 

  
あれ( ゚д゚) ←裸眼1.5

 

 

 

 左肩が赤い

 

 

 

 

えっ? あれって…無かったよね?
 

 

 
もしかして…
ROCK’N ROLL NIGHTのときの火薬が当たってしまったのかな?😨
 

 

少し前に読んだ過去記事を思い出します。

 

 

 

危険と隣り合わせのステージ
 
彼のステージには、火薬などの特効が使用されることもある。もちろん安全性には十分注意が払われ、専属のスタッフがついていることは言うまでもない。
それでも、火の粉が彼やメンバーに降りかかることが稀にある。しかし、彼らはそんなことを気にしてはいられない。最高のステージをこなした山根康広の肩に火傷の跡を見つけたことがあった。
だが、彼は何もなかったように僕に笑顔を見せ、楽屋へと帰って行った。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘GOLDEN FLYER’

 

 

もしかしたらだけど…そうだよね…火薬の火の粉かしら…
と見つめながら、思っていました。
 

 
 
今年は去年よりもひかえめだったけど…
それでも当たってしまうんだ…
 
 
 

 

 

「山根康広」を一言で表現するのはむずかしい
しかし、敢えて言うなら、彼は「こだわりの男」なのだろう。
レコーディングにせよ、ライヴにせよ、彼は妥協を許さない。もちろんそれは、とりもなおさず「最高のものを届けたい」という目的があるこそである。
 
彼との話の中でよく出てきたのが
「どうすれば、みんなが喜んでくれるのかなぁ」
というフレーズだった。たとえ自分に負担がかかったとしても、常に最高のステージを見せたいという彼の想いは、オーディエンスのために、必ずかなえられることとなった。
 
ツアー中、右手を怪我したときのこと。何もしないでも相当の痛みがあったはずだが、彼はその手でストロークし、ギターを弾きながら歌い切ったのだ。
当然そのあと「無茶をするな」と医者にさんざん説教をくらった。
 
万が一、骨でも折れようものなら以降のスケジュールに影響を与える。何より、待ってくれている各地の人達がいる。
ところがコンサートに来る人達は、彼が怪我をしたことすら知らない。そんな人たちがステージを見たときに物足りなく感じることだけは避けたい、と彼は感じていた。ツアー最後まで彼は右手の負傷の欠片さえ見せないまま乗り切った。
そう、彼はそんな男なのだ。
 
(中略)
 
山根康広。
最高の歌を歌うために、こだわり続けてきた不器用な男。
彼はこれから先も、決して生き方を変えることはないであろう。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘Route 816 LIVE IN KOBE ARENA’

 

 

そうですね、
昔からそんなエピソードは会報の中のマネージャーさんの手記にあったりして…
 

 

 

1つ1つのライブを完全燃焼でやり遂げるその意気込みや、
妥協を許さず、いつだって手抜きをしないその姿勢は
尊敬に値します。

 

我々に最高の時間を届けようというY2のお気持ち…
本当に頭が下がります。

 

 

 
昔から、いつだってオーディエンスを楽しませようと
隠し事が多い人だから

ただの1ファンですが、
ちょっと、(オカンっぽく)心配するほどです。
 
 
 
 
 
 

 

STAGE -Born in 66-

 

最後のオーラス。
この曲で…本当に嬉しいです。

イントロが始まり、涙がこぼれてきました。

 

 

飾り気のない、シンプルなイントロです。
だけど、涙がウゥッと出てくるのです。

 

 

抑えられた照明。
力強く歌うY2の声がストレートにオーディエンスの心に染みていくようです。
 

 

 
 
初めてBorn in 66で聴いたときは
Y2は29歳

 
初めてライブに行けたあの感動の日から年月が経ち
随分と太く、男らしい声でステージに立たれるようになりました。
 

 

 

初めて夢を見つけた日のことを
頼もしい声で
今も歌い続ける…
 

 

 

 

ゴメンなさい

 

 

 

号泣状態です
 

 

 

 

 

1995年…
3rdアルバム「Born in66」がリリースされたのは1995年。
私が中学3年生のときです。
 

 

 
その頃って反抗期…というか
ちょうど親とのコミュニケーションが減っている時期

 

 
学校から帰ってきて、自宅で過ごす時間は
食事と入浴、ドラマの時間以外は自室にこもる時間が多くなりました。

 
そしてY2の歌を聴いていました。

 

 

 

妄想するのは、
歌詞から連想される世界で繰り広げられる恋愛物語。

 

 

 
主人公は何歳?
舞台はどこにする?
国道26号線ってよくわからないけれど、そうだねこんな感じで二人のお気に入りのドライブデートコースを設定しよう。
ここで一度、三角関係に持っていく。その後は…。

 

 

 

ノートにプロットを書きながら…

 

 

 
私にとってY2は
将来を夢見ながら
家族よりも声を聴いていた存在です。

 

Y2の楽曲を聴き
素敵な歌詞に心が涵養されました。

「大いに影響された」と言った方がいいかもしれません。

 

要所、要所に楽曲から得たエッセンスを練り込みました。

 

思い出せば
大学生になってから書いたものも
男性を主人公にしたものが多かったのは
 
1993年、思春期の頃から
「ひとりの女性を想う男心」
に浸り、憧れていたからかもしれません。

 

 

 

 
 

 
いくつものストーリーを練り
そのうちの1つは、題名を「STAGE」としました。

 

 

そう、まさにこの曲の歌詞の内容からインスパイアされたストーリーです。
夢を追いかける青年。

 

 

 

そして
18歳の春に過疎地を飛び出し
隣の関西で独り暮らしを始めました。

 
古くて狭くて汚い学生アパート。
お湯も出ませんでした。
それが恥ずかしくて、あまり友人を呼べませんでした。

 

 

お金はまったくありません。
でも大きな夢はありました。

毎晩、必ずY2の声を聴いてから寝ていました。

 

恋が始まったとき
恋が終わったとき
夢を追いかけていたとき
起き上がれないほど辛いとき
将来の選択肢に悩んだとき

 

 

いつだって、
「頑張れ、夢は叶う。お前ならできる」
「もう泣くな、俺がついている、お前は大丈夫だ」

  

 
遠い存在だけれど
独り暮らしの私の
側にいて励ましてくれた兄代わりの声です。

 

 

 

 

 

 

夢を追いかけていた学生時代の私には、
ロールモデルとなる作家がいました。
彼女のエッセイを購入し
「ミュージシャンの○○くんにドラマのテーマソングを依頼した」
の一文を読み
 

 
は?!
このレベルになったらそんな権力があるの?!

 

  
と中学生の頃、驚いたものです。
普通はドラマの主題歌は制作スタッフが決めるよね?

 
 

 
 

私は向こう側の世界の人間になりたかった。
大衆に
夢と感動を与える表現者側。
 
  

 

いつも夢見ていました。
そして「必ず実現する」と漠然と信じていました。

 
 
 

 
夢が叶ってから
制作スタッフさんが私の意見を飲んでくれるくらい大物になってから
MOTHERにご挨拶とお願いに伺うようにしようか…
 
そして…山根さんは、うんと言ってくれるだろうか…
 
 
  
 
 
「舞台はここで、主人公はこういう青年です。
 最終的にはこういう展開でこうなります。
 このドラマの主題歌を歌ってくださいませんか。
 私にこの夢をくれたのは山根さんなんです。」

 

 
 
 
 
 
そうお願いできるくらい大物になりたい。
 
向こう側の世界で働いてみたい。
深夜枠でいいから、1本くらい採用してドラマ化してほしい。
  
当時は本気でそう思っていました。
 
 

 

 
学生時代の私は
夢は叶うと、本気で信じていたのです。
 

 

 

 

 

Y2…10代の私は
将来にワクワクし、
いつか一人前になった暁には
貴方に仕事のお願いをしたいと願っていました。
 

 

 
あの頃のピュアな気持ちがよみがえる、
この曲「STAGE」
 

 
  

貴方が30周年を迎えられたこと
貴方のおかげで自分が期待に満ちた学生生活が送れたことに
この曲を聴きながら
感謝の気持ちで、涙が止まりません。

 

 

 

 

 

 

そして、ついにラストが近づいてきた。
時間が止まってほしい。もう少しこのまま同じ時間を共有していたい。
そんな願いを込め、すがるように向けた視線の先には、汗でビッショリ濡れた山根康広が立っている。
 
ラストナンバーが始まる。
静かに始まるイントロが、最後の曲であることを思い起こさせる。
山根康広の歌う姿を決して忘れないように、この場面をいつまでも胸に焼き付けるために、固唾を呑んで見つめるオーディエンス。そして曲はクライマックスに…。
 
会場全体が同じメロディに包まれる。まるで同じ色に彩られたかのように。
山根康広は何度も何度も歌い続ける。オーディエンスもそれに応える。
 
この歌が終わるとき、それは、すなわちこのコンサートの終わりを意味するのだ。何度も繰り返されるメロディに、終わってほしくないというみんなの思いがつのっていく。
 
エンディングとともに、一気に会場は歓声に包まれた。
何度も手を振る山根康広。その姿がステージの奥に消えるまで、瞬きさえ忘れるくらい彼の姿を見つめている自分がいた。
そして確信した。
 
山根康広は、ここにいるひとりひとりの人生の一部であり、燦然と輝く明日の光だということを…。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘GOLDEN FLYER’

 

 

この夜を冷凍保存しておきたい
終わってほしくない

 

そう、多くのファンはFIRE BALLのオーラスで感じます。
 

 

 
STAGEを聴きながら、
Y2に再会できてよかった、と
心から神様に感謝しました。

 

 
 
 
いつか、Y2にお手紙を書こうかな。
溢れる想いを全部書いてしまったら、きっとドン引きされると思うので
さわりだけ…。

どれだけ感謝しているか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、STAGEが終了。
歓声が、会場全体を包みます。

 

 

 
何度も手を振るY2を
涙と鼻水の汚い顔で見送ります。
 

 

 

「平坦な30年ではありませんでした。
その中で、みんなは俺に愛と夢をくれました。

 

 

この先、どんな風が吹くか分かりません。
 

 
今日は、30周年という夢のステージでした。
これからも夢の続きを俺と見てやってください。」

 

 

 

 

 

 

 

 

Y2…
30周年、本当におめでとうございます。
5年前の8月、貴方の楽曲の素晴らしさを再確認しました。
 
再び貴方のファンとして戻ってくることができ
本当に良かったです。

 

 

 

 

 
今年も、感動をありがとう。
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
夢の続きを
これからも一緒に見させてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンサートが終了して2時間、オーディエンスの誰もが興奮覚めやらぬ状態で家に到着したのだろうか。
誰もが今日のコンサートの余韻に浸っているこの時間、会場内を見渡しても、山根康広のステージがあったという証は、どこにもない。
相変わらず空気はひんやりしているし、残された機材も当然あるわけもなく、作業灯だけが点る舞台上は、僕たちが14時間前に引き戻されたかの錯覚を起こしてしまいそうだ。
 
 
だが、確かに今夜、ここで山根康広のライブは行われたのだ。
事実上コンサートは終わり、過去のものとなった。
しかし、今日コンサートに訪れてくれた人々の記憶には「熱い夢」として確実に残っている。機材を片付けることはできても、人の記憶を消すことはできない。その記憶をより深く、より鮮明にするために、山根康広は常に最高のステージを届けられるよう考え続けている。
どうか、コンサートに足を運んでほしい。その目で見届けてほしい。
 
 
誰もいないはずの客席から声が聞こえてくる。
「ステージの幕が降り、アンコールの声が響く…」
その日、僕は初めて誰もいない会場の片隅で泣いた。
 
 
山根康広のステージを…オーディエンスの声を…いつまでもこの目で見ていたい。
僕らが、この時代に生まれた誇りとして…。

Quote:TOUR PAMPHLET ‘Route 816 LIVE IN KOBE ARENA’

 

 

 

 

 

 

 
 
The concert was over.
However, it will remain in the memories of those who visited the concert today as a “fantastic dream.”
We may be able to put away the equipment, but we cannot erase people’s memories.
 
In order to make those memories deeper and more vivid, Yasuhiro Yamane is always thinking about how to deliver the best stage performance.
Please come to the concert. I want you to experience it with your own body. 

‘The curtain fell on the stage, and the audience called for an encore.’
  
I want to see Yasuhiro Yamane’s stage and the audience’s voices… with my own eyes for all time.
I am proud that we were born in this era.

 

 

Y2, Happy 30th anniversary and Happy 57th birthday.
Thank you again today for a perfect stage.
You’re the greatest musicman ever. I’ll say it again and again.