Weekend translation
子供たちが小さくても、色々勉強したい。大好きな山根さんの楽曲の歌詞がお題目なら継続できるかな、という超私的な魂胆。
・深夜早朝に歌詞を自分なりに翻訳する。
・週末にレッスン受講し添削してもらう。
・曲の雰囲気や作られた背景も伝える。
・復習用にこのブログにまとめる
注:歌詞の背景、状況説明は私の勝手な個人的日本語解釈で進めています。バイリンガル講師がなかなか見つからず、講師が日本語が分からないためにどうしても説明が多分に必要だからです。
#20 a tear’s waltz
高校生の恋愛がテーマ…
結論からして
この歌詞はとても、というか「随分」「かなり」むずかしかったです。
何よりも彼らの想いを掴むのが、私にとっては至難の業でした。
彼らの状況、彼らの若さ、彼らの想いの深さ、
は、歌詞であるがゆえに、聴き手の想像の範囲でしかないんですよね。
聴き手によってストーリーの捉え方が違ってきて
いざそれを英訳したら、聴き手の数だけ違う意味合いの英訳ができてしまうんだな、
ということを実感しました。
ずらーっと英訳して行って
そして最後の一文に来た時
「またきっと会えること 星に願っている」
これを最後に見てから、
あれっ!これまでと意思の度合いがミスマッチになった!もう一度ストーリー設定をやり直さなければ!
と焦りました。
この「a tear’s waltz」…他の楽曲の歌詞と違うのは、
高校生が主人公なんですよね。
ティーンエイジャー…
他の歌詞では、大学生だったり、忙しくて恋人になかなか会えない社会人だったり…
大学以降の年齢では、恋人はいずれ結婚相手になる可能性があります。
ですが
この歌詞の主人公たちは高校生。
まだまだ親の庇護のもとにおり、色んな決定権もありません。
たとえば高校2年で17歳としますか。
若い…。
高校生の恋愛…
気持ちの汲み取りが、とても難しいな…
私が高校生だった頃、どんなかったっけ…
17歳の頃(1997)、好きなアーティストが髪を長めに伸ばしていて。
「ぐぇっ!マイハートますますカッコいいー!!━ヽ(○≧ω≦)ノ━いやあぁぁぁ」
と言ってCDを抱きしめて寝ていたアホでしたな( ゚Д゚)
そんな、まだまだ若い高校生の彼ら恋愛状況は
転校という親の仕事の都合により、離れ離れに。
お金もないし、部活も忙しい。これから受験勉強も大変になる。
だから、頻繁に会いに行くこともできない。
まだまだ青く、未熟な二人。
大学生や社会人の恋愛と違うのは
「自由もお金もない」ということ。
そんな若い彼らの遠距離恋愛。
彼氏が遠くの学校へ行ってしまう、という状況で、この「彼氏」側の気持ち…
A.「情熱的に今後も関係を続けていくことが可能と思っている」
青いからこそ純粋に情熱的に、永続的なことを望んでいる
B.「希望的観測で会えると信じている」
物理的に会えないけれど、きっとまた会えるはずと思っている
C.「別れを言うのは辛いから、星に祈っている」
継続できるなんて望みは薄いけれど、それでも願っていたいと思っている
どのパターンにするか、でニュアンスが変わってくるため、それぞれで使う単語が変わりました。
特に、Aの「今後も関係を続けていくことが可能と思っている」
の場合は、
またきっと会えること 星に願っている
の日本語歌詞をそのまま直訳してしまうと
「お前、必ず会おう絶対や言うてるのにお星さまに願っとんかい」
と、一気に実現不可能感が出てしまうので、「星に願う」の部分は元の日本語と随分違った訳にしないといけません。
「またきっと会えるよ」の英訳は「I’m sure we will meet again./また会える、確信してるよ。」とかになると思います。
Bの「希望的観測で会えると信じている」
場合は、少しマイルドで
Aほど強気に「関係を続ける」とも思っておらず
Cほど現実的に「関係を続けられないだろうけど祈っていたい」とは感じておらず
「この先どうなるか自分でもわからない。でも今はダンスをしていたい。」
と、AとCのどちらにでも捉えられる。
「またきっと会えるよ」の英訳は「I hope this is not the last time./これがきっと最後じゃないよ。」になるんじゃないかな。
Cの「別れを言うのは辛いから、星に祈っている」
の場合は、
高校生であるがゆえ、自由がきかず「もう僕たちは会えないのだろう、と心の底では分かっている。でもそれでも祈っていたい、願っていたい、いつかまた会えたら」という、実現不可能な願いをベースにした想いになるよね。
「またきっと会えるよ」の英訳は「I believe there’s a next time./次があると信じている。」とかになるかな…。
ここでは「今も星に願う」をそのまま訳してもいいと思う。「会えない、それでも星に願っていたい」感が出るような気が。
歌詞って…とても抽象的。
少ない日本語で作られ、異なる解釈がたくさん発生します。
聴き手によって色んな捉え方があるということは、
作り手にとっては「あとは皆さんに委ねました」という感じなのかもしれません。
去年の秋にラジオ番組で山根さんがおっしゃっていました。
「曲を書いて、レコーディングし、実際の音として楽曲を仕上げ、皆さんの元に届ける。
ある意味、身を削って作った歌は皆さんの元へ届いた瞬間から、
皆さんひとりひとりによって育てられ、皆さんの曲になっていく。
そしてその歌は、それぞれの思い出とともに、やがて、人生の一部になっていく。」
それを思い出して、歌詞の解釈は各人各様でいいんだな、と感じています。
またきっと会えること 星に願っている
ガーっと歌詞を訳していって、最後の最後にこの「またきっと会えること 星に願っている」の訳を作ったときに、
あれっ
流れ的に…
この最後の「星に願う」を入れると
これまでのセンテンスとちぐはぐしてしまった…と思って、
あ、そうか 彼は「実現不可能だけど、それでも…」という感じなのかな、とようやく気づきました。(それまで、希望を持たせた訳にしてしまっていたからです)
「星に願う/wish upon a star」のニュアンスを
最後の最後に入れることで、
英語では、日本語よりも強く「実現不可能感(どうかお星さま感)」が出てしまうことに気づいたんですよね。
日本語では「星に願う」と歌詞や詩で言ったとき、
願っている感の度合いが
英語で「wish upon a star」ほど「実現不可能感」は出ないような気がします。
曲調は、少し甘酸っぱいような…とても爽やかな青春の恋を表現している感じです。
さすが、「恋つば」の青春イメージのあるカップリング選曲ですよね٩(ˊᗜˋ*)و。
ここから「たった一度のセカンド・ラブ」に続くのだ…。
難しいね。
最初はBのパターンだったけれど、ちょっとちぐはぐ感が出てしまったので
最終的にCのパターン(実現不可能だけれど、君との思い出を大事にしている)という前提に修正してから
いつものN先生に見てもらいました。
How’s your husband’s body?
旦那さん、体の調子はどう?
He is gradually able to move. Now I am already taking off the mask and treating him. Kids started to go to kindergarten again.
少しずつ動けるようになってきました。私も今はマスクを外して夫に接しています。子供も幼稚園にまた通い始めました。
Camblyのレッスンは「週1回受講」で1年契約しています。
この1か月半は夫の介助と幼稚園を休ませた子供の世話のためライティングが出来なかったので、校正のレッスンではなくフリートークでN先生に日々の悩みを聴いてもらっていました。
Good for you. You look like you’ve been through a lot.
よかったね。あなたとってもたいへんそうだったもの。
本当に、色々あって感情をどこにぶつけたらいいか分からず…ようやく事故前の日が戻りつつあります。
Today I have translated these lyrics into English.
今日はネタあります。
Ok, “a tear’s waltz”
オウケィ、エィ ティアーズ ゥォルツ。
ゥォルツ…。発音難しい…。( ゚д゚)
This is a story about a couple of high school students. They met on a slope on their way to their high school.
高校生のカップルのお話です。彼らは高校に向かう途中にある坂道で出会いました。
Schools in Japan start in April. When they started school, the cherry blossoms were in full bloom.
日本の学校は4月から始まります。彼らが入学した頃、桜が満開でした。
“Do you remember? We met in the middle of the slope which leads to our High School.”
So here. When you say slope… what do you mean? Do you mean like a hill? “Slope” doesn’t have to be a hill.
「覚えてるかい ハイスクールへと続くこのslopeで僕たちは出会った。」
ここでのslopeって?あなたは丘を言いたいのかしら?slopeは丘ではないからね。
The street like a hill.
丘のような道です。
OK, you are right, however, it is more natural to say hill.
In this case, the use of the word “hill” would be better.
Because for one thing, hill, it refers more geographical when we talk and also it’s a little bit more on a bigger scale, a slope could be just very small.
ああ、なるほど、でも丘と言ったほうが自然です。丘は地理的に大きなもので、slopeは単なる傾斜だからね。
“In the middle” is a bit strange…
“We met halfway up the hill that leads to our high school.”
「坂道の途中で」というときは「halfway up the hill」がいいよ。
なるほど…
“The petals of cherry blossoms floated gently from above.”
It’s correct. This is not incorrect, only we say is… “floated” It’s kind of suggests that when something floats, it maintains its position.
If I’m on a lake, I’m on a boat and I’m floating on the water, I am in this position.
「桜が舞う」の時にfloatを使うとね…。floatはその高さを維持するニュアンスがあるときに使います。「ボートで湖の上を漂ってる」水の上のその高さを維持してるってこと。
So it’s better to say “The petals of cherry blossoms were falling gently from above.”
“they are floating” is kind of sounds like they are not dropping.
「僕たちの上から桜の花びらがそっと舞い降りていた。」の方がいいね。floatは下に落ちないから。
“I would be late and skip class. Even as you chided me, you lent me your notebook.”…
「遅刻したり、授業をサボったり。君は僕をchideしながらも、ノートを貸してくれた。」…
She warned him that if he did not attend any more classes he would not pass the test.
彼女は、もしこれ以上授業を受けなかったらテストに合格しないよ、と彼を注意しました。
I must say I don’t know what this word means ” chide.”
「chide」ってどういうこと?
“chastise”, or “scold”
Ah, OK. Let’s use “scold” it’s more natural. I’ve never actually heard this word. Maybe It’s not common.
“I would often be late and skip class. Even as you scolded me, you lent me your notebook.”
ああ、そうね。「scold」のほうが自然です。「chide」って聞いたことないわ。きっと一般的じゃないのかも。
アメリカ人のA先生に以前「CLOUD 9」の英訳を見ていただいたときに、
恋人同士で”scold”は違和感があるわ
と言われたので”chide”を使いましたが、
N先生は”chide”を聞いたこともないそうです。
A先生はアメリカのプロのライターの方。
N先生はイギリスの有名大学をご卒業された方。
どちらも語彙は豊富な方々ですが、国によって使う単語が変わりますね。
He changed school in the middle of his school year because of his father’s job.
親の仕事の関係で、彼は高校の学年の途中で転校しました。
“I could only hug you tightly.”
Here’s an example, “All I could do was hug you tightly.”
「君を強く抱きしめることしかできなかった。」
のところは、All I could do~でもいいね。
“We would drop in the coffee shop on our way home.”…
Grammatically it would be ambiguous. It would not be very clear.
“We would often/usually drop by the coffee shop on our way home.”
コーヒーショップに立ち寄った?ここは文法的にちょっと曖昧で明確ではないね。「often/usually」を足して。
※日本語の「コーヒースタンド」は、
梅田のグランフロントに入ってる「ALL DAY COFFEE」とか「DOWN STAIRS COFFEE」とかの小規模のお店を指すと思います。
しかし海外では、「coffee stand」というと国によってキオスクタイプの店、テイクアウトのみの店、などと認識が変わってくるようなので、Coffee shopに変更しました。
On their last date night, they danced.
最後のデートの日、彼らはダンスをしました。
“That night we danced all the way.” Do you mean they danced all night?
「その夜、私たちはずっと踊り続けた。」一晩中踊り明かしたってこと?
Not all night, just a long time.
いえ、踊り明かしたのではなくて、ただ長い間踊ったんです。
高校生ですから夜は家に帰りましょう。( ゚д゚)
Just to say “We danced for a long time.” Because “all the way” is a little bit unclear.
If we want to make it a bit more poetic or a bit more dramatic,
We could say “That night we danced for what seemed like an eternity.”
ここでは「for a long time」がいいね。
もしもっと詩的にドラマティックにしたいなら「その夜、私たちは永遠に続くかのように踊り続けた。」とかも言えるよ。
ドラマティック来たー(゚∀゚)!!
He knows that he will not be able to see her again in his true heart. He understands that their relationship will probably end. But still, he wants to wish to the stars that he will see her again.
The time he spent with her was very nice. It is a memory to be cherished.
He thinks that if it was meant to be that they met, they will meet again.
彼は、本音では彼女ともう会えないだろうということは分かっています。彼は、二人の関係は終わってしまうのだろうと理解しています。ただそれでも、彼は「また会えることを星に願っていたい」と思っています。
彼女と過ごした時間はとても素敵なものでした。とても大事にしたい思い出です。
もし二人の出会いが運命だったのならば、きっとまた会えるだろうと彼は思っています。
“We will definitely be able to meet again.”…
I would say “We will definitely meet again.” because “be able to” refers to the ability, but if he’s so definite about it, then we don’t need to emphasize that
there isn’t able to meet. We would just say “we will meet”
また会えると彼が思っているなら、可能性の「be able to」はいらないよ。すでに「definitely」があるからね。
「可能性」ニュアンスについての疑問があります…実現不可能な希望(上記Cのパターン)を想っている彼だから…
Is it ok to say “We are definitely able to meet again”?
able to 入れたらどうなりますか。
“Definitely able to… ” It is ok, but it is a little bit unusual. It’s kind of like… what you doing, in that case, is emphasizing the ability, not the fact that will happen.
It’s like, for example, I want to meet somebody and we are talking about whether it is possible or not. Maybe this other person lives in another city,
so we’re discussing whether it is possible. “Are we able to meet again?” and then the other person says “Yeah we will be able to meet again.” so the question here. The focus of that sentence is the ability, the possibility of whether it can happen or not. So you can say that here if that is what you want to emphasize the ability rather than the outcome.
うん、別にいいけど、ちょっと変わってるかなあ。可能性を強調することになるよ。
たとえば…私がある人、誰か他の国のある人、に会いたいと思っていて、あなたと私でそれが可能かどうか話してる。「また会えるかなぁ」そして「うんまた会えるよ。」そう、問題はここ。この会話で重要視してるのは可能性。あなたがそんなことをいいたいなら、able toはここで使えるよ。
そうなんです。可能性が重要になってるから。ってかほんと気持ちの度合いの表現って難しい…。
a tear’s waltz
Do you remember?
We met halfway up the hill that leads to our high school.
The petals of cherry blossoms were falling gently from above.
I would often be late and skip class.
Even as you scolded me, you lent me your notebook.
We had a dance for just one night.
My move to a new school was sudden.
You kept crying, “Stay with me.”
All I could do was hug you tightly.
We would often drop by the coffee shop on our way home.
You and I shared a laugh across the table.
There is now a skyscraper in its place.
But that scenery is imprinted in my memory.
We danced for just one night.
That night we danced for what seemed like an eternity.
“I hope this is not the last time.”
Kissing you softly.
We danced for just one night.
That night we danced for what seemed like an eternity.
We are definitely able to meet again.
I keep hoping for that.
We danced for just one night.
That night we danced for what seemed like an eternity.
We are definitely able to meet again.
I keep wishing to the stars for that.
.
不思議なものです。
私が若い頃は、まず登場人物たちの性格を決めて、ノートにプロット(脚本の全体の構成を短くまとめたもの)を書いて
うーん、うーんと唸っていました。
ここで、この子ならこういう感じにコトが進んでいくだろうから、こいつと別れて、このタイミングで新しい恋人に出会って…
そんな、
憧れた職業に就くことはできませんでしたが
当時2番目にやりたかった仕事に今はつき、独立し、
子育てと仕事の合間にこうやって
聴きなれた楽曲の歌詞を自分なりに解釈して英語のやりなおし勉強に使わせていただいて
うーん、うーんと唸っています。
高校生の頃の自分には、40歳の自分がそんなことをしてるなんて想像もしないことでしょう。
だってその頃は、マイハート(←当時の呼び名)の曲を聴きながら、
「絶対に夢は叶う」と信じていたから。
「夢は叶う」
常に将来に対して前向きにいれたのは、素敵な楽曲たちが支えてくれていたから。
今、振り返って、本当にそう思います。
昨年は一度もライブに行けませんでした。
でも今年は…
またきっと会えること 星に願っている
「I wish to the stars that I could see him again./どうかまた会えますように」
…?
いえいえ…どうかお星さま、と
星に願ったのは2020年。
今年は
Aのパターン
「I’m sure I will meet him again./また会える、確信してるよ。」
になるはず。