わーデビュー記念日!

27年なんですね…
めでたいなぁ(*^^*)
こんなにも長い間、山根さんは多くの人に素敵な曲を届けてくださっているんですね。なんだか、感慨深いです。
 
ファンクラブに再入会してから、
誕生月のバースデーカードに「おぉっ私そろそろ誕生日か!」と思ったり(引きこもり主婦は誰からも祝ってもらえません。主人も私の誕生日を忘れていました)
年末のニューイヤーカードに「あっ来年ライブたくさんしてくれるんだ!行けるチャンス増えるかな」と思ったり
日々のちょっとした楽しみが増えました。
 
 
会社員をされながら、26歳でデビューされたというのは
本当にすごいことだなぁと思います。
 
自分自身の若い頃を思い出してみても
本当に、特に新卒の頃は
毎日帰宅が遅くて、それでもできない自分が悔しくて、休日も会社に行って仕事をすすめていたりしていました。
疲れて帰宅、お風呂にお湯を入れている間に寝てしまって、
朝になってふと目が覚め、冷たい水が出しっぱなしになっていて
ガスが止まってしまい復旧作業、みたいなこともよくありました。
毎日夜遅いため帰宅途中で痴漢に遭ったり、とにかく若い頃は辛くしんどい日々でした。。
当時は月に2回、土曜は半出勤だったので、私は仕事のない週末は自宅でぐったり休んでいました。
 
山根さんは会社のお仕事もされ、音楽活動もされていたんですよね。
ホントにすごいなぁ、今は「俺はひ弱やし」とかたまに聞きますが、お若い頃はやっぱり体力勝負で色んなチャンスに向かわれてたんですね…(>_<)
 
手元に昔のインタビュー記事があるのですが
それぞれ仕事を持つバンドメンバーがスタジオに集まるのは、いつも午前零時をまわっていて
それから朝まで練習、
週末はライブ活動を精力的にされたり、
東京のレコード会社にデモテープを持って行かれて
「ここまで来たので聴いてください」ともちかけたり…
 
週末も全然休んではらなかったんですね
(…現在も全然休んでないイメージです( ;∀;))
 
 
バンドが解散してソロになられてからはスタジオ代も一人での負担になっていただろうし、
たいへんだっただろうなぁと思います。
 
ソロでライブ活動をされていた時に最初のレコード会社の方に声をかけてもらったそうなのですが
どうやら「レコード会社の名前を貸してもいい」という、ほぼ自主制作のCDでのデビューだったそうで(!)
会社の積み立てを解約したりして制作されたそうなんです。
 
この記事を読んで私、すごくびっくりしました。
レコーディング費用も自費で…音楽業界って、なんて厳しいところなんだ、と…
 
 
最初のデビュー曲「Get Along Together」のジャケット写真は
ご友人が撮影されたそうですね。
(YOUTUBEで見ましたよ…クリス〇村さんが「あらっかわいい男の子♡」とジャケ買いしたって言ってました。たしかに可愛い( *´艸`))
髪が黒い激レアな写真…
 
 
和歌山のスタジオで初めてサトシさんと出会った時のことを以前ラジオ番組で話されていて。
出会った時の互いの第一印象は?の質問に
サトシさんは山根さんのことを「イケメン」と思い(そりゃそうでしょう~)
山根さんはサトシさんのことを「この人めっちゃギター上手い」と思われたそうです。
↑それ第一印象じゃないやん!
 
 

オリジナル盤とニューバージョン

1stアルバムのオリジナル盤とニューバージョン、
聴き比べた方は分かると思いますが、音がやっぱり違いますね。
 
 
山根さんを「Get along together~愛を贈りたいから~」で知った後、
友人に学校で「すごいいい曲!すごい素敵!」と言っていたら、「あの人カッコいいね。アルバムが出てるみたいよ」と情報をもらえました。
当時はインターネットが無かったので、リリース情報を知るのには、音楽雑誌を買うか、CDショップに行くか、口コミで聞くしかなかったんですよね。
 
私の地元、ほぼ田畑しかないのですが
一応、大きな道沿いには、レンタルCD屋さん(TSUTAYAだったかなぁ)と、6畳くらいの広さの小さなCDショップが存在していました。
 

TSUTAYAにアルバムを確認しに行くと「あっホントだ!アルバム出てる!青い!」と入店してすぐ目につきました。

この時の光景、覚えています。
今週のTOP10みたいなランキングが、入店してすぐわかる目立つところに並ぶんですが
「BACK TO  THE TIME」のアルバムがズラーっとたくさん並んでいました。
 
手に取り、まじまじと見て「よーし確認したぞ!」と店を出て(TSUTAYAはレンタルのみなので)
今度はCDショップへ行き、「BACK TO  THE TIME」を探しました。
 
するとね、顔がアップの「BACK TO  THE TIME」が数枚と、違う写真(車が背景)のアルバムが「1枚だけ」あったんです。
 
ん?タイトルも、入ってる曲も一緒。でもデザインと髪型が違う…
これは何だろう?
不思議に思いながらも、さっきTSUTAYAで確認した「BACK TO  THE TIME」が数枚あったため、それを買いました。
 
 
帰宅してアルバムを聴き、「なんて素敵なアーティストだろう」と感動し
部屋にこもってこのアルバムを聴き続けました。特に「Good-bye Love Road」を聴いたときの脳内の化学変化は忘れられません。
 
 
すると、だんだん以前の「もうひとつのBACK TO  THE TIME(車が背景)」が気になって来るんですよね。
あれはいったい何なんだろう。
入ってる曲が同じでも、聴いてみたいな。うん、聴きたい聴きたい!あれは1枚しかなかったから、売切れたらどうしよう…他にも狙っている人がいるんじゃないか…と、市内の人口を調べて「こんなところに〇万人もいるのか!」と心配していました(←本当の話)
年が明けお年玉を得てから買いに行ったら、CDショップのお兄ちゃんに「あっこれね~新しいのが出てて、こっち」と言われたのですが「いえ、いいんです」と言って買いましたね(笑)。
山根康広さん BACK TO THE TIME
これが自主制作のオリジナル盤だったんですね。
なんであんなド田舎の店に置いてあったんだろう…
さすがにオリジナル盤シングルは田舎には置いてなくて、進学で関西に出てきてからどこかで購入したような気がします。
 
 

有線放送

「Get Along Together」は有線から人気が出て広まった、というのは、1993年1994年当時よく聞きました。
※有線放送というのは、現代で言うとSpotifyみたいなものです。ひたすら音楽が流れてくる、という。
 有線電気通信設備を引いている企業や家宅で聴けました。
 
デビューされても、CDは大阪だけの販売。初回プレス約2000枚ほど。会社員を続けられながら週末に色んなところへ歌いに行かれたそうです。
有線放送を訪問すると1回は流してくれるから、ということで
よく有線にも足を運んだ、と以前おっしゃっていました。
「マスコミ媒体に乗らないから、有線で流してもらうしかなかった」
「曲が良いと、『今の曲は何?』という問い合わせがあるんです。それでリクエストしてもらえるようになった」
 
デビューの時にお披露目パーティーを開き、
音楽関係者など100人近い人に招待状を出して
実際に来たのは9人だった、というのは今までも何度かおっしゃっていて…。
 
その9人のうち、3人は有線放送の大阪難波放送所のスタッフさんだったそうで
そのうちの1人の方がインタビューに答えられていました。
「最初に彼の曲を聴いたとき、いい曲だなあと思ったんです。そこにちょうどパーティーの招待状が来た。とても気さくな人で人柄にも惹かれたので、他のリクエストが無い時に彼の曲を流してみたんです。30分経てば、同じアーティストでも違う曲なら流していい規則なので、A面(Get Along Together)とB面(Good-bye Love Road)を交互に、1日に6~8回流したかな。徐々にリクエストが増えてきて、難波放送所のチャートでは、最高3位を記録しました。」
 
↑気さくな人、ってホント山根さんは昔から業界の方からよくそう書かれていた印象があります(^^)
飾らない、というか…。変にアーティストぶらない、というか…。テレビやラジオを通じて、1ファンとして私もそう感じていました。
でもやっぱり一般人の私からすると、生でお会いできるときはオーラを感じます。(←だから、「近い!ぎえぇぇっ」てなる(*´Д`))
 
 
「Get Along Together」は1993年1月21日にリリースされましたが、
人気が出だしてから、同年7月からのフジテレビドラマ「じゃじゃ馬ならし」の挿入歌になったと当時の記事に書かれています。
(あれ?これWikipediaに誰も書いてないな…)
 
 
くやしい!私このドラマ見てなかったんです!
月9!ゲツク!「ひとつ屋根の下」も「あすなろ白書」も大好きで見てたのに!くやしい!
このドラマを見ていなかったので、私が「Get Along Together」に初めて出会ったのは
12月のFNS歌謡祭での「Get along together~愛を贈りたいから~」でした。
もしこのドラマを見ていたら、当時どう感じただろう…。
 
「Get along together~愛を贈りたいから~」の方は、タイアップなしでしたよね?
ニューバージョンになり、よりドラマティックになって、引き続き有線で大爆発しましたね。
有線放送大賞の受賞式は、テレビで放映されました( *´艸`)
 
桂三枝さんが司会だったと思いますが
最優秀新人賞を受賞され、とても大きな花束を渡された山根さんに「おめでとう、やっちゃん」と言っていて
ん?やっちゃん?やっちゃんって言った?
何度巻き戻して見ても、そう言っているように聞こえました。(大阪出身だから楽屋でお話しされたんでしょうか( ^^) )
その後、「端正なお顔立ちで」と桂さんは言っていました。
礼儀正しく控え目な山根さんがこれまたまあ本当に素敵で!(*´Д`)ズキューン!!
突如現れたイケメンミュージシャンは、お茶の間の奥様達の目の保養になっていたはず…!
 
 
デビューするまでもしんどくて
デビューしてからもしんどくて
だけどそのおかげで、私たちは素敵な楽曲たちに出会えました( ;∀;)
 
現在もずっと走り続けている山根さん。
27年も皆に感動を与えて続けてくださって
「今年もご活躍が楽しみです!」というファンの皆さんの声を聞くのが私は大好きです。
(ラジオ番組では、もっとたくさんリスナーさんの声を聴きたいな!)
 
 
 
今のご時世、映画やドラマの主題歌にならない限り
チャート上位は難しいと言われます。そしてそれは、とってもとってもごくわずかなアーティストだけで
一時期売れたとしても、多くのアーティストが音楽活動を辞めていっている状態だと思います。音楽業界って、本当に厳しいんだな…。
 
今の若い子にとっては、音楽って、聴き流すものなのかな。
Spotify、Apple Music、Google Play Music…
音楽をCDとして手元に所有することなく、オンラインで聴く現代は、なんだか流行りの物だけを追う使い捨てアイテムのような感じなのでしょうか?
 
 
私たちが若い頃のような、
お気に入りのアーティストのCDリリースを指折り数え待ち詫び
CDショップで購入し、傷が付かないように大事に扱いCDトレイに入れて再生、
歌詞カードを見ながら、歌詞に込められた想いに心を馳せ
お気に入りアーティストのCDが棚に並んでいく喜びを噛み締める…みたいなことは、あまり無いのかもしれませんね。
友人や恋人の部屋に遊びに行ってCDを見て、あっこれ聴いとぉ?うん、コンサート今度一緒に行こうや!って話に花が咲いたり。

スマホやPC、mp3プレイヤーで「音楽データ」を聴いている現代では、友人が聴いている音楽のことなんて何も見えないから、そんな話になりにくいでしょうね。

 
 
服をたくさん持っているけど、どれもあんまり着ない、よりは
本当にお気に入りの、サイズが合った質のいい服を少数持って長年大事に着るほうがいいな、と
断捨離して感じます。
 
音楽もそれに似ていて。
自分にピッタリ合った、自分の心をアゲてくれる良質なもの。
「そういうのは今の流行りじゃないよ」と言われたとしても
聴くことで自分の心が潤うのなら、素晴らしいものだと思います。
 
私はファンを10年ちょっと離れていたけれど
山根さんの楽曲が身体に浸透していて、心に突き刺さっていたことを実感しました。
自分にフィットしていたんですね。
 
離れていた頃の楽曲を買って、初めて聴いてみたとき(2018年夏)に感じたことも、今後ずっと忘れないだろうなと思います。
アルバム「GOLDEN FLYER(2007)」は非常に気持ちよく、1曲目からスーっと心に染みこんでいきました。だから「THE HERO」は大好きで、2019 FIRE BALLでパフォームしてくださって本当に嬉しかったです。
Latestアルバム「MUSICMAN(2013)」「わぁ、さすが山根さんだ!」と感心し「やっぱりこの声は落ち着くなぁ。長い間離れていたけど、自然に今自分に浸透してる」とひしひしと感じました。
私は18歳でプイっと実家を出てしまい、ほとんど帰っていないため、
親の次によく聞いた声が山根さんの声かもしれません(笑)
つらいとき、悲しいとき、恋をしたとき、目標に向かっていたとき、いつもバックグラウンドにいて支えてくれた、「お兄さん」の声なんですよね。
 
 
改めて古い記事を読んで「山根さんは昔から頑張り屋さんだなぁ」と感慨深く思いました。
 
今年は少しOFFを取ってほしいなぁ…と個人的に勝手に思ってます。(クリエイターは休息が大事だと思っているので…)
「収録はとり貯めしたので、5日間雲隠れします。探さないでください」みたいなことがダイアリーにいつか書かれたらいいな、とあらぬ期待をひっそり抱いているのですが…。
じっくり休息されて、素敵なラブソングをまた数年後に(笑)リリースしてくれたらいいな、とかなり自分勝手に妄想しています。
 
 
 
 
たまーにライブに行って、こっそり応援することしかできない(しかもその後すぐ帰る)のですが
 

やっぱり、山根さんは私のスターです(*ノωノ)

 

Anniv. 1.21
It would be great if he could accept my hearty congratulations.
Hope he will take as many days off as possible this year. I sincerely wish he takes good care. Always cheering for him.