少しずつ夫が動けるようになってきた中。

夫が肋骨を骨折してから1か月。

 
ずっと
自宅療養が続いています。

 

家族と過ごす看護師さんの自宅での過ごし方をYoutubeで見ました。
それを見習って、私も家の中でもマスク。
子供たちにも「2階に行くならマスクしてね」と言い聞かせて…。

骨がある程度つながるまで、絶対に夫に何も感染させてはいけないから。

 

 

私はスーパーに行くし(置き配は高いし、子どもの好きな駄菓子が売られていない)、子供もたまに公園に行きます。

外出はそれだけ。

 

 

外科でレントゲンを撮ってもらうたびに
心配だった骨の接合、ズレがなくくっつき始めているようで安心しました。
ズレていたら肺を傷つける、と言われ恐怖におののいていました。

 

 

「CTでは発見できなかった臓器の損傷があるかもしれません、
その場合、尋常じゃない痛みが起りますが、
発熱があると受診できないので、小さな怪我だったとしてもこの時期は死んでしまいますよ」
事故当日の、救急病院での外科医の言葉がずっと心に残っていました。

 

 

少しずつ夫が動けるようになってきたし
痰の絡みを、肋骨を痛めながらも出せるようになったし

シャワーも、私の介助が少なくても浴びれるようになってきて

 

 

あー、、夫よ、ようやくここまで回復してくれたか…

 

 

子供たちは来週から幼稚園に行かせよう…。

 

 

子供がずっと家にいると、仕事は深夜。
日中全てを邪魔され…
睡眠不足の中、毎日がカオス…

 

 

外に出る限りは何かもらってくるかもしれない、
自分らはイエロー信号であると自覚して
2階をクリーンエリアと呼び、家庭内感染を防いでいました。

これが本当のquarantain life。

 

 

ああ子供たち、幼稚園に行かせられるんだ…

昨年の5月にも、「6月から幼稚園が再開してくれる…」と同じことを思っていました。

あの頃は、日中はキャットフードサーバーの上でMACとwindowsを立ち上げ確認作業をし、
メインのタスクは深夜労働でこなしていました。

 

 

夫の骨がうまく繋がっていってる…

 

 

子供たちが幼稚園に行ってくれる…

 

 

昼に仕事ができる…

 

 

夫を隔離するのは今月いっぱいで終わりそう。

 

 

子供たちとリビングで寝るのもあと数日だ…
(来客用の布団は1セットしかないので私は固い床で寝ます。毎日背中が痛い。)

 

 

夫が事故に遭ってからふさぎ込んでいましたが、
ようやく、少しずつ事故前の生活が戻っていく感じ

 

 

夫の予後が良いようなので
先週末は、事故後はじめて、チューハイを飲んで…
子供たちが寝たあと、飲みながら土曜の晩にラジオを聴きました。

山根康広 STARTING OVER★Y2 MEETS ROCK

週に一度の楽しみ(*´ω`)

 

 

「栄光の季節」がかかった…。

山根さんの楽曲に再会した2018年の頃、
これがlatestシングルでした。

詞の内容を見て
「お変わりのないスタンスだ…」
あの頃と同じような感じのまま、ピュアな思いのまま
音楽活動を続けられているんだ、と感じました。

 

 

自宅で初めて聴いたのと、
実際に2019年のFIRE BALL 2019の会場で聴いたのとは
全く違う印象だったのを覚えています。

自分自身、家庭を持ち、仕事を持ち、
上手くいかないことがたくさんあります。
もう少しだから、それでも頑張るんだ、というメッセージを
ダイレクトにステージで受け取ったからかもしれません。

 

 

また、ほろ酔いの状態で懐かしい曲がかかると、おセンチになってしまいます。

 

 

先週は「彼女と映た夏」
イントロから転調して歌詞が始まりますよね。

イントロでは、もうそばにいない彼女を想い出して感じるせつなさ、
そして転調して歌詞が始まったときには二人の想い出を語る愛しさ、
そしてサビのところからまた懐かしく感じている感が出ているんですよね。

なんだか、ドラマティックで…好きな曲です(*´ω`)
(サトシさんのギターソロも!)

 

 

少し前にこの曲を英訳して、いつものN先生に見てもらいました。

米語ではセァンdキャッソゥ
となるところが
N先生のブリティッシュ発音ではサンdカッソゥ

ポッシュな発音の「砂の城」(*´ω`)

しばらくできていなかったけど、
歌詞の英訳をまた再開しよう…

 

 

ラジオで聴ける洋楽の紹介、とてもなめらかな発音ですね(*´ω`)うらやましい!
山根さんは基本、米語寄りで発音されていますが、
洋楽をカヴァーされたのを聴いてみたら、ふとブリティッシュ寄りの発音があったりします。
なんでだろう?英国シンガーも米語寄りで歌うことがほとんどです。(商業的な意図があるそうです。)

 
映画をよく観られていたからかもしれませんね。やっぱり耳が良いんだな!

 
曲の始まる前の紹介の時と違って、
曲が終わった後はカタカナ発音で紹介されるところに気遣いが感じられます(*‘∀‘)

 

 

先々週は…

 

 

私の心臓を収縮させる「on the BACK STREET」が流れました。

 

 

この頃、ずっと夫の体調のこと、幼稚園のことばかりモヤモヤ考えていたので

「うぉうこの曲かかってもうた」

という感じで終わってしまったのですが

 

 

あのとき
もし夫がこんな状態ではなかったら、

 

 

やはりいつも通り、心臓を収縮させて苦しくなっていたかもしれません。

 

 

この曲は、6thアルバム「on the BACK STREET」のタイトルチューン。

山根康広  on the BACK STREET

以前私がファンだった頃(1993~2005年頃)、
6thアルバム「on the BACK STREET」は、特別好きなアルバム、というわけではなく
全てのアルバムを分け隔てなく好んでいました。

 

 

※「HEAVEN & EARTH」は例外です。このアルバムはリリース当時(2004)は何も心に響かず、当時お気に入りにはなりませんでした。
現在の職業にけじめが付き、愛する家族を持ってから再ファンになると
ラジオから流れたりライブで聴くことで
「こんな感じだったっけ?」と例外から外れ、他と同じように大事に聴くようになりました。
2004年当時の私のメンタルコンディションが悪かったのだと思います。

 

 

「on the BACK STREET」は当時、
特に大好き、というわけではなく
他と同等にone of themだったアルバムです。

 

 

だけど、2018年8月。
山根さんのライブ広告を見て
「あっ!大好きだった山根さん…!久しぶりに曲を聴いてみよう!」
とイヤホンを入れて横になったあの日、

 

 

1stアルバムから順に聴いていって、
想い出が最もたくさん溢れてきたのは

6thアルバム「on the BACK STREET」でした。

 

 

そのなかでも、10曲目、タイトルチューン「on the BACK STREET」…

 

 

この曲を久々に聴いたときに脳内に駆け巡ったのは

 

 

狭く汚い、あの学生アパートの室内。

 

 

どうしてこの曲がそんなことを思い出させるのか?

今も分かりません。

 

 

夢を追いかけていた大学1回生~3回生の頃、
当時の最新アルバムだった「on the BACK STREET」(1999.10)。

 

 

1~5thアルバムを聴いてそれから、
この6thアルバムが全曲終わるまで頑張ろう、と私はデスクに向かっていたのだろうか?

 

 

就職活動が始まった頃(2002年4月)にリリースされた7thアルバム「STARS.」(2002.4)と、この6thアルバムでは
随分と私の中で「存在」が違います。

 

 

青春真っただ中でした。

私の中の山根さんの外見上の「主」のイメージは
今も
髪が少し短めの、まさに「on the BACK STREET」アルバムのジャケット写真に写られている感じです。

山根康広 on the BACK STREET

 

 

よくテレビに出られていた1993年、1994年頃のツーブロックのイメージでもなく
「One Moment」を抱きしめて寝ていた(←愚行すみません)頃の長い前髪のイメージでもなく

やっぱり「on the BACK STREET」とかアメリカを横断された「be-ALIVE」の頃の短めのイメージです。

 

 

1999年に田舎から進学で関西に出てきて、
イベント等で間近でお会いすることができるようになったからかな。

 

 

しかしそれ以上に

(結婚とかをまだ考えず)彼氏と愛しい時間を過ごし
希望に満ち溢れた将来を友人たちと語り
自分なら必ずできる、と疑わなかった…

 

 

そんな自由で無邪気だった頃にリリースされたアルバムで
ライブ会場では夢を後押ししてくれたから
そのイメージが焼き付いたのかもしれません。

 

 

将来を夢みて青春時代を共に駆け抜けたアルバム。

私にとっては、それが6thアルバム「on the BACK STREET」です。

 

 

 

 

 

私は他に好きなアーティストが出来なかったので
友達が「これいいよ、聴きなよ」と貸してくれるCDを除けば

毎日毎日、山根さんの曲を聴いて、夢に向かっていました。

当時の学生アパートの鍵は、ファンクラブでもらったキーチェーンにつけていました。

 

 

 

 

私は
夢破れ、
他の職業で就職し、
その後独立までしてしまいました。

 

 

約20年も前の思い出は
当時の友人たちも皆家庭をもったこともあり
話す内容は子供のことばかりで

山根さんの楽曲に再会するまでは
想い出すこともほぼありませんでした。

 

 

だけれど
当時の楽曲たちの中でも

「on the BACK STREET」

これを
アルコールが入った夜に改めて聴くと

 

 

今の自分の心臓を収縮させます。

 

 

山根さんの楽曲に2018年に再会した後、よく感じていたことは

「この楽曲が私の学生時代を保存してくれていた。そして今の生活を潤してくれている。」
ということ。

それがとてもとても嬉しかったんです。

 

 

「またライブに行ってもいいかな、子供たち泣かずに待っててくれるかな」

「一度離れた身だけどファンクラブイベントに行ってもいいかな。子供たち熱出ませんように。」

「リリースイベントで列に並ぶのって久しぶり! 嬢ちゃん、すぐ帰るからね。」

2019年は幼い子供を抱えながらも日々の楽しみが増えました。

 

 

子供が産まれてからは、私の外出は許可制になったような感じなので、外出は容易ではありませんでした。
(プチステイホームな感じです)

 

 

「ちょっとスーパー行ってきていいですか」
「ちょっとATM行ってきていいですか」
「来月の第4土曜日に年に一度の同窓会があるから、夜に外出させてほしい」

 

 

飲み会はもちろんのこと5分の外出でさえも夫に「子供を見といてほしい、今大丈夫?」と頼まなければならず
独身の頃のように「あっラップ無くなった。買いにいこ。」と気軽に外に出ることができなくなり、「夫が帰宅するまでラップを買いに行けない…イライラ」と常に子育てに縛られている感じでした。

 

 

意を決して子供と一緒にスーパーに行った場合、
イヤイヤと入口で大の字になったり
これ買う~とワガママ言ったり
買うつもりのない商品で遊んだり
信号が赤なのに無理して横断歩道を渡ろうとして腕が抜けそうになったり

 

 

10分で済む買い物が1時間かかり
自分1人でスーパーに行く場合の50倍くらいの疲労感とストレスで帰宅するので
極力、スーパーは1人で行きます。

 

 

それでもパンデミックが拡がる前は

「ママにもおひとり様の時間が必要なんや、この人の歌はママの青春なんだよ、外出させてよ」
と堂々と「許可申請」すれば、
夫は「はい、子どもは見とくよ」と送り出してくれました。

 

 

今は、許可申請もへったくれもなく

夫を介護し、子供を閉じ込め
おもちゃで足の踏み場の無い中
自宅の中でもマスクをして
頻繁に実家に生存確認の電話をして
ただただ、
時が過ぎていきます。

 

 

引きこもり続けると
頭がおかしくなるような感じがしてきました。

 

 

またステージに聴きに行きたい
そう何度も願っているのですが

それは未だに実現していません。

 

 

大阪、兵庫、京都。
宣言が延びるんですね。

 

 

毎週金曜日(土曜日の朝radiko)の声には癒されるものの

やはり、ステージからもらえる元気とは質が違うものです。

 

 

 

今年の8月16日で、息子は6歳。
大人しい子だから
もうそろそろ、ライブに連れていける年齢かな?とも思いますが

 

 

 

日常は

とてもとても遠いんだな。